はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年01月

img069今日は、昨日「東京かわら版」2月号が来たので、そこから・・・

御覧の通り、談志追悼号となっています。まずは順番に行きます。
落語と私は、久本雅美さんです。今度の土曜18日に「たちきり」を演じるそうです。
その苦労話等載っています。指導は菊之丞さんです。
最近役者さんが落語を演じる事が多いですね。一人で全てをこなす落語はそれだけ魅力的なのでしょうか?

そして、いよいよ、談志師の追悼企画です。
弟子はもちろん、落協、芸協、円楽一門を始め上方等からの思い出や追悼の言葉が並んでいます。
沢山あるので、書ききれませんが、いくつかを・・・

☆談慶・・・真打披露で師匠に「長生きしてください」と言ったら、「俺は以前同じ事を志ん生師匠に言ったんだ。
もう俺もそんな年なんだな」と笑った事。

☆市馬・・・家元行きつけの店に「今晩居るからな」と直接の電話、私が行くと弱気な言葉こ数々。
そのうちに、「アレ唄え」「今度はあれだ」とリクエストに私が応えて歌っていると段々陽気になり、
すっかり上機嫌になって、可愛らしい笑顔で時々振り返り両手を上げ、軽くステップを踏みながら
帰るその姿が忘れられません。

☆遊三・・・昨年の2月末広亭の楽屋に姿を現し、二人で昭和30年頃の若手落語会の噺に花が咲き、
出ない声で懐かしそうに語り合った事。

☆鳳楽・・・入門して半年後の昭和41年の冬に「圓楽さん楽松貸してくれ」と言われ、札幌で10日間色々な事を
教えて貰った事、本当に良い事も悪いことも・・・

☆米朝・・・役一年前に彼がウチに来てくれた事ですね。私がちょっとしんどかった、と聞いて元気づけてくれた。
大阪市内の料理屋に行き三枝君も駆けつけてきて、色々と昔話に花が咲いたのですが、
あれが最後になったんですなあ。
※ 一部編集してあります。

後はテーマ別に噺家さんが談志師の思い出を語っています。
・好きだったところ、・教わった演目、・忘れられない小言や助言
その中で2つ、☆談之助/ 葬式で泣いてる芸人は馬鹿だ。
☆小燕枝/ 誰かが新しいくすぐりをやると、もうその後はやらなかった事。
その後は読者の追悼の言葉や思い出ですね。

いろんな写真が載っています。メモリーオブ談志ですね。
あとは、談志師の色んなデーターが載っています。
談志ファンのかたは買っても損は無いと思います。
寄席や紀伊国屋書店等大型書店でも購入できます。

ここからいつもの「かわら版」です
70年はひと昔は笑三師匠で戦前によく通っていた寄席の話です。鈴本、人形町末広、神田立花、等によく通っていたそうです。

先月号のクイズの回答が載っています。今回は難しかった様ですね。

「本日のお題」は「鉄拐」ですねえ、これは談志師が得意にしていた噺でもありますね。
「演芸の時間」は今月は手脇研さんで、やはり談志師の思い出ですね。

ニュース関連では三三さんが、「懐古趣味」と銘打ち、明治〜大正の寄席の高座を再現した独演会を開催したそうです。昨年の11月14〜17日で日本橋公開堂にかっての寄席若竹の高座を再現したそうです。
橘右楽師の協力で、徹底した作りだったそうです。

若手の紹介は、上方の、桂まん我さんで、東京でも活動なさってるそうです。
堀井ちゃんのコーナーは、「ホリイが聴いた談志ベスト50」です。

最後の今月のお言葉は雲助師のこれ・・・・
「川柳さんには百まで生きてもらって、「百歳のガーコン」を聞いてみたい。そばで60歳のつくしが介護してるン。
問題はあたしが持つかどうか、そん時83歳・・・団魂の世代は弱いからな・・・」
昨年の6月6日、「川柳・雲助二人会」(内幸町ホール)での発言でした。この時雲助師は「ジャズ息子」をやったそうです。
あたしも聴きたい(^^)
今月はこんな処で・・・・
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20080720_381320昨夜は、仕事に空きが出来たので、浅草の夜席に行ってきました。
トリまでは居られないけど、映画を見るか、寄席かと考えて、落協の今年初の芝居にしました。

雪の影響で交通網が夕方でも乱れていて、着いた時は6時でした。
正楽師が最後の紙切りをしている処でした。お題は「スカイツリー」でしたね。

続いてが馬石さん。「まってました」「映画みたよ」の声が掛かります。
「強情灸」を演じましたが、顔を真っ赤にしての熱演でした。

次が馬の助師で1月らしく「かつぎや」で一席終わった後、おなじみの百面相でしたが、今日はおめでたいモノだけでしたね。演目にちなんで、大黒様、恵比寿様、達磨大師、花咲か爺さんの良い方と悪い方、最後が文福茶釜の狸でした。これだけでも来たかいがあります。(^^)

次が近藤しげるさんで歌の合間に談志師との交流を語ってくれました。大変に可愛がられたそうです。
仲入りが駒三さんで「時そば」
仲入りは五分で終了して後半戦開始です。

志ん橋師で「居酒屋」でこれは文朝師のバージョンでした。
アサダ二世さんの奇術でしたが、ここで居眠りしてしまって、見ていませんでした。w

種平さんが三枝師の作の「お忘れ物承り所」でした。昔似たような新作がありましたね。面白かったです。
次が志ん丸さんで「あくび指南」でしたが、ここ一年、志ん丸さんと言うとこの演目。覚えちゃったw
ここで八時を過ぎたので帰宅しました。
トリの雲助師まで見ていたかったのですが・・・また今度ですね。

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七-order今日は「按七」と言う噺です。単に「七の字」とも言います。

安永(1772〜81)頃に成立した上方落語でして、題名はもちろん「按摩の七兵衛」を略したもの。「七の字」「左七文字」とも言います。
元の噺はかなり長い噺だった様ですが、六代目圓生師によると、かなり短く詰めたのだそうです。
いわゆる、無筆の噺ですが、「三人無筆」や「清書無筆」「手紙無筆」等はよく演じられていますが、この噺は金馬師以降はどうなんでしょう? 私は生では聴いていません。

叔父さんの遺産をもらって急に大金持ちになった按摩の七兵衛さん、商売を始めて大威張りに威張り始めました。
町内の若い衆はおもしろくありませんわな。七兵衛が無筆だということを知っているので恥をかかせてやろうってんで、「おい、按七、按七」「何ですか、失礼な。
私はもう按摩ではなく、鈴木七兵衛という立派な商人(あきんど)です」「ふぅーん、そりゃあー、たいしたもんだ。それだけ立派な旦那なら自分の名前くらいは書けるに違いねえ。

どうだい、ちょっと「七」という字を書いてみてくれ」「書けたらどうする?1円出しなさるか?」「よし、そのかわり書けなかったら、おまえの首を引っこ抜くぞ」ということで、若い衆は1円の工面に出かけます。
「ふん、1円の金も持ち合わせないのか。貧乏人はかわいそうなもんだ」とはいうものの、七兵衛も「七」の字を知らないので、こっそり知り合いの奥さんから教えてもらいました。

若い衆が1円を調達して戻ってくると、早速墨汁と筆を持ってきて、近所から障子を借りてくる。
「さあ、この障子に書いてみせろ」と「七」の字を書かせた。七兵衛は平気な顔で、横に一本引いて、縦に一本引き始めたので、「こりゃあ、いかん、1円とられてしまう。七兵衛さんよ、もうわかったから、そこでやめといて50銭にまけといてくれ」といったが、七兵衛は承知しない。「何を言う。1銭だってまかるもんかい」といって力みながら、上から引いた棒の尻を左の方へ曲げた。「おい、按七、七という字は尻を右へ曲げるもんだぞ」「ええい、馬鹿な。裏からよく見ろ。「七」になっているだろ」・・・

今日紹介する金馬師は左に曲げるところで落としています。サゲよりこのほうがすっきりしますね。

無筆の噺が多く生まれた背景には、実際にはかなりの人が当時でも手習い所(寺子屋は上方の呼び名)
に通っており、そう多くはいなかったので、逆にそれらを笑い噺にしたと言う説もあります。
資料によると、江戸では、延享から寛延の頃(1744〜50)には2校、明和年間(1764〜71)には3.8校、天明年間(1781〜88)には12.6校、文化年間 (1804〜18)には27.4校、天保年間(1830〜43)には141.7校、安政〜慶応の頃(1854〜67)には306.6校が(いずれも1年当たりの平均)開校しているそうです。
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990912-005今日は志ん生師もよくやったと言う「義眼」です。

ある男、
目の具合がどうも良くないので、医者に相談するが、ますます見えなくなるばかり。
眼科の先生もしまいには面倒くさくなり、えいとばかり悪い方の目をスッポリ抜き取り、
代わりに義眼をはめ込んでごまかしてしまった。
「あー、どうです具合は?……そりゃよかった。それから、入れた方の目は夜は必要ないンだから、取りましてね、枕元に水を置いて、浮かべときなさい。そうすりゃ長持ちするから」

当人すっかり喜んで、その夜、吉原のなじみの女郎のところへ見せびらかしに行く。
男前が上がったというので、その晩は大変なモテよう。

さて、こちらは隣部屋の客。反対に相方の女が、まるっきり来ない。
女房とけんかした腹いせの女郎買いなのに、こっちも完璧に振られ、ヤケ酒ばかり喰らい、クダを巻いている。
「なんでえ、えー、あの女郎は……長えぞオシッコが。牛の年じゃあねえのか?」
「それにしても、隣はうるさいねえ。え、『こないだと顔が変わった』ってやがる。」
「七面鳥のケツじゃあるめえし、え、そんなにツラが変わるかいッ!こんちくしょうめ!」

焼き餠とヤケ酒で喉が渇き、ついでにどんなツラの野郎か見てやろうと隣をのぞくと、
枕元に例の義眼を浮かべた水。
色男が寝ついたのを幸いに忍び込んで、酔い覚めの水千両とばかり、ぐいっとのみ干したからたまらない。
翌日からお通じはなくなるわ、熱は出るわで、どうにもしようがなくなって、医者に駆け込んだ。

「あー、奥さん、お宅のご主人のお通じがないのは、肛門の奥の方に、何か妨げてるものがありますな」
サルマタを取って、双眼鏡で肛門をのぞくなり先生、「ぎゃん」と叫んで表へ逃げだした。
男の女房が後を追いかけてきて、「先生、いったいどうなさったんです」
「いやあ驚いた。今、お宅のご主人の尻の穴をのぞいたら、向こうからも誰かにらんでた」

とまあ、いかにも落語らしい落語と言う感じですねえ。楽しい〜(^^)
楽しいナンセンスにあふれた展開、オチの秀逸さで、落とし噺としては、かなりイケてますね。

意外にも、明治の大看板で人情噺の大家・初代三遊亭円左師が得意にしていたそうです。
それを大正の爆笑王・柳家三語楼師がさらにギャグを加え、オチも「尻の穴ににらまれたのは初めてだ」
から、よりシュールな現行のものに変えました。
そして志ん生師へと伝わっのですね。

志ん生師の音源は調べたら、「講談社DVDBOOK・志ん生復活!落語大全集」第5巻に収録されていますね。

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f0186852_12254639今日は「町内の若い衆」です。

原話とされるのは元禄3(1690)年刊の笑話本「枝珊瑚珠」中の「人の情」です。
それ以来ほとんど変わっていないと言う噺で、鹿野武左衛門(1649〜99)の手になるものですが、
それから1世紀を経た寛政10(1798)年刊の「軽口新玉箒」中の「築山」になると、
オチの女房のセリフが、「これも主(=主人)ばかりでなく、内の若い衆の転合に(てんごう、=いたずらで)こしらえました」と、余計エスカレートしています。

長屋の熊五郎が兄貴分の家に増築祝いに寄ると、おかみさんが、今組合の寄り合いに出かけて留守だと言う。
お世辞ついでに、兄貴はえらい、働き者でこんな豪勢な建て増しもできて、組合だって兄貴の働き一つでもっているようなもんだと並べると、このかみさんの言うことが振るっている。
「あら、いやですよ。うちの人の働き一つで、こんなことができるもんですか。
言ってみれば、町内の皆さんが寄ってたかってこさえてくれたようなもんですよ」

熊公、この言葉のおくゆかしさにすっかり感心してしまい
「さすがに兄貴のとこのかみさんだ。それに引き換え、うちのカカアは同じ女でありながら」
と、つくづく情けなくなった。
帰るといきなり「どこをのたくってやがった」とヘビ扱い。
てめえぐれえ口の悪い女はねえ、これこれこういうわけだが、てめえなんざこれだけの受け答えはできめえ」
と説教すると「ふん、それくらい言えなくてさ。言ってやるから建て増ししてごらん」
痛いところを突かれる。

形勢が悪いので「湯ィへえってくる」と言えば「ついでに沈んじゃえ。ブクブク野郎」
熊公が腹を立て「しらみじゃねえが、煮え湯ぶっかけてやろうかしらん」
と考えながら歩いていると、向こうから八五郎。

そこで熊「カカアの奴、ああ大きなことを抜かしゃあがったからには、
言えるか言えねえか試してやろう」と思いつき、八五郎に
「オレが留守のうちに何かオレのことをほめて、うちの奴がどんな受け答えをするか、聞いてきてくんねえ」
と頼む。

一杯おごる約束で引き受けた八五郎、いきなり熊のかみさんに「あーら、八っつあん、うちのカボチャ野郎、
生意気に湯へ行くなんて出てったけど、どうせあんなツラ、洗ったってしょうがないのにさ。あきれるじゃないか」
先制パンチを食らわされ、目を白黒させたが、なにかほめなくてはとキョロキョロ見回しても、何もない。
畳はすりきれている。土瓶は口がない。かみさんは臨月で腹がせり出している。
これだと思って「いやあ、さすがに熊兄ィ。この物価高に赤ん坊をこさえるなんて、さすが働き者だ」

するとかみさんが「あら、いやですよ。
うちの人の働き一つでこんなことができるものですか。
言ってみれば、町内の皆さんが寄ってたかってこさえてくれたようなもんですよ」

この噺には別バージョンがありまして「氏子中」と言います。
かなり以前にここで紹介したのですが、簡単に書いてみます。

商用の旅から一年ぶりに帰った亭主の与太郎が、女房が妊娠しているのを見て、驚いて問いただすと、
女房もさるもの、氏神の神田明神に願掛けして授かった子だと、しらばっくれる。
親分に相談すると、
「子供が産まれたら、祝いに友達連中を呼んで荒神さまのお神酒で胞衣(えな、=胎盤)を洗えば、
胞衣に本当の父親の紋が浮かび出る。
そいつに母子ともノシつけてくれてやれ」そこで、言われたとおりにすると、
「神田大明神」の文字がくっきり。
疑いが晴れたかに見えたが、よくよく見ると横に「氏子中」。

と言う噺で志ん生師や馬生師が高座に掛けていました。
先代圓楽師もやりましたね。
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