はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年01月

植木も娘も悪い虫がつかないうちに・・・

0016今日は、久々の上方落語で「植木屋娘」です。

とある資産家の植木屋さんに一人娘がおりまして、これがもう、近所でも評判の美人で、親父さんの自慢の娘。
そりゃ、親父さんとしては、嬉しいけどまたそこが心配のタネです。
そこで親父さんは考えた、
「悪い虫がつく前に、養子もろうて、楽隠居・・・」ってんでね。
目をつけたのが、お向かいのお寺の居候のイケメン伝吉さん。
娘のお光さんも、まんざらでもない様子。

お寺に交渉へ行くと、
「あれは、武家の出で500石を継ぐ身じゃ、やれん。」けんもほろろに、断られますが、
そんなことじゃ、めげない親父さん、「だったら既成事実をつくりゃいいんじゃ〜」と、
二人だけにして、お酒の席を設けます。

なんだかんだと上手くいきそうですが、その時はあっさりと伝吉さんも帰ってしまって、親父さんがっかり・・
その後、幾つかの縁談があっても、断り続ける、娘さん。
「ひょっとして、男嫌い?」 と噂の立つころ、
娘さんがなんと、「電撃妊娠!」
 どひゃ〜あ・相手は誰だ〜 なに〜伝吉?あの伝吉!
「でかした!ようやった!ようやった!」大喜びの親父さん。

その既成事実を引っさげて、お寺と交渉。
「し・しかし伝吉は、500石の跡目を・・・」
「その子ができたら、その子に継がせばええ。 そやさかい伝吉は貰う。」
「そんな無茶な。侍の家を勝手に取ったり継いだりできるかいな。」
すると植木屋の親父さん。
「大丈夫。 接ぎ木も根分けも、うちの秘伝でおますがな。」

以前は、と言うより、松鶴師や文枝師のサゲは、
住職に掛け合いますが、伝吉の答えは「商売が植木屋でございます。根はこしらえものかと存じます」
と、言うサゲでした。
米朝師は、「むかし、夜店などで質(たち)の悪い商人から買った植木に根がなくて、すぐ枯れてしまったりするのがあったそうですが、これはちょっとひどいサゲで、伝吉という人間もこれで大変悪い男になってしまうし、この一篇の落語が実にあと味のよくないものになります。」
と言う理由で変えました。

これと似てる様で違う話ですが、「崇徳院」のサゲを枝雀師が、
「互いに探す相手が知れまして一対の夫婦が出来上がります。崇徳院というおめでたいお話でございます」
と変えました。
これに文枝師は「「めでたしめでたしで終わるのは落語ではない」「『一対の夫婦〜』では講談なのであって落語ではない」と語っていたそうです。
従来からあるサゲが良くないとか、後味が悪いとか言う理由で変えるのはまだしも、文枝師の発言は最もだと思います。
東京の「居残り」とは違いますからね。この噺(植木屋娘)の場合は納得できますね。
(最も、私は「居残り」も変えてほしくありませんがw)

東京では現在は、歌武蔵さんが演じています。
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知らぬは亭主ばかりなり・・・・

tadanobu今日は、艶笑噺にはいるのでしょうが、圓生師や米朝師もやっていた「二階の間男」です。
上方では「茶漬間男」と言います。また、「二階借り」と言う演題で演じる時もあります。

ある不倫中のカップル、男のほうは、女の亭主の友人なんですねこれがw。
ある日なんと、女の亭主がいる家で、しようと思いつきます。刺激が足らない模様ですね。
男は、亭主に、相手が彼の女房だとは教えずに、どこかの人妻だということにして、二階を貸してもらいます。
いざ、その時には女房は顔を見られない様に二階へ上がります。
亭主は茶漬を食うことに夢中で、二回で抱かれているのは自分の妻だということに、気づかない。

ことが終わったあとに女房は何食わぬ顔で帰宅する。亭主は、「今日、あいつに二階を貸したよ。相手は人妻だってさ。まったく、旦那はどんな男で、何してるんだろう」と、茶漬を食いながら、妻に語る。
妻は、「今頃その旦那は、お茶漬でも食べてるんじゃない?」

この粗筋は「茶漬間男」の方です。「二階の間男」はもっと単純で亭主がひとりごとでつぶやきます。
「町内で知らぬは亭主ばかりなり。ああ、その間抜け野郎の面が見てえもんだ」

原話は、天保13(1842)年刊の「奇談新編」中の漢文体笑話です。
明治23年5月、「百花園」に掲載された初代(鼻の)三遊亭円遊の速記が残っています。続きを読む

本所に過ぎたるものは・・・・

9dd8bc5c2abb5437404b46ec89f3dd04今日は日曜でお休みなので、少し長い噺をやります。
「塩原多助一代記」より「 青の別れ」です。
これは、実在の人物で 一代で富をなした、塩原太助氏(文化十三年没・74歳)の事跡を圓朝師が明治11年に15席の長編人情噺に仕立てたものです。
今では 「塩原多助序」 「青の別れ」 「道連れ小平」  「戸田の屋敷」「山口屋のゆすり」 「四つ目小町」の6席に整理されています。
今日はその中から、おそらく一番口演されてるであろう「青の別れ」を取り上げました。

上州沼田に300石の田地を有する豊かな塩原家の養子多助は、養父角右衛門の後添えお亀の連れ子お栄と夫婦になりました。
しかし、角右衛門の死後まもなく、母子は寺詣りの帰り道、暴漢に襲われ、それを助けたのが原丹治という武士で、
お礼をしたいと原丹治を家に招待したが、その後ちょくちょく出入りするようになります。
原(はら)丹治、丹三郎の父子を家に誘い入れ、お亀は丹治と、お栄は丹三郎とそれぞれ不義を重ねるようにななります。
家の為と見て見ぬ振りをしていた多助ですが、色と欲とで目の眩んだお亀は、丹治をそそのかし、多助を殺すべく相談をもちかけます・・・・ここまでが序です。
ここからが「青の別れ」になります。

5両5粒で買い求めた馬、青を連れて元村まで使いに行きます。
お亀は、帰りは遅く四つ(夜10時過ぎ)になるので、目印は馬に塩原と書いた桐油を着けて行かせるから、庚申塚で多助を切ってしまおうと打ち合わせていました。
多助が庚申塚近くになると、青は後ずさりして動かなくなります。
どんな事をしても動きません。、そこに友人の御膳龍(ごぜんかご)をしょった円次郎が通りかかって青を引くと動いたのですが、多助が引くと動きません。
仕方なく、円次郎が青を引いて、多助は御膳龍をしょって、それぞれの家に届ける事になりました。
その後、円次郎は庚申塚でめった切りにされて絶命し、多助は何も知らず帰り着くとお亀はびっくりしたが、失敗したと悟ったので、次の手を考え始めます。
ある夜、青が激しくいななくので厩に行ってみると、原丹治、丹三郎の父子を見て、青が見た下手人である事を確信しました。
このままではいつかは殺される事を悟って、家を出る事を決心する。宝暦11年8月満月の夜、愛馬青に別れを告げて、江戸へ旅立って行く多助でした・・・・

この後、多助は江戸に向かう道中で道連れ小平に出会い身ぐるみはがされてしまいますが、神田佐久間町の炭問屋山口屋善右衛門に助けられ、そこに奉公することになります。
その後、色々苦労して、 20年後には「本所(ほんじょ)に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原」と言われ、津軽十万石越中守さまと並び称せられるだけの成功を致しました。かつて自分に危害を加えようとまでした継母お亀を引き取って、終生世話をしました。
 20万両という金を持って、実家を再興したと言われる、塩原多助出世美談の一席でした。

と途中は飛ばしましたが(長いので、読む方も大変かな〜なんて思いましてw)
今年中にはこの続きもやりたいですね。

江戸時代から芝居になり大当たりを取った題材で、戦前は国語の教科書に載ったそうです。
ちなみに、実在の人物は塩原太助で噺では塩原多助です。
実際は噺と違うのでしょうが、似たような人生だと言う事です。
道路改修や上州赤谷川などの治水工事にも多くの私財を投じたそうです。続きを読む

信心も度が過ぎると・・・・

an115今日は後生鰻です。ん〜夏の噺だと思うのですが、余りにも寒いので、へそ曲がりの虫が湧きましてww

元々は『淀川』という上方落語の演目で、明治期に東京へ移植されたそうで、別題は『放生会』とも言います。(聴いたこと無いけどw)

さる大家の主人は超極端な信心家で、夏場に蚊が刺していても、つぶさずに必死にかゆいのを我慢している。ある日、浅草の観音様さまの帰りがけ、鰻屋の前を通ると、親方が鰻をまな板の上へ乗せて包丁を入れようとしているところに遭遇した。
「何をする気だ!?」
「二階のお客様のご注文で、蒲焼に…」
「残酷じゃないか!!」
隠居、早速、義憤を感じて、鰻の助命交渉を開始する。すったもんだの末、鰻を二円で買い取って、前の川にボチャーン。「あー、いい功徳(くどく)をした」

スーッと帰ってしまう。翌日、また同じ鰻屋で、同じように二円…ボチャーン!「あー、いい功徳をした」
そんなことが続くこと四・五日。
隠居さえ現れれば、仕事もしないで確実に日銭が転がり込むんだから、鰻屋はほとんど何もしないで左うちわになっていた。
仲間もうらやんで、「どうでえ、あの隠居付きでおめえの家ィ買おうじゃねえか」。
ところが…ある日を境に、この隠居がぱたりと来なくなった。

吹っかけすぎたのが災いして、ほかの鰻屋へ流れていってしまったのだろうか。女房と心配していると、久しぶりに向こうから『福の神』がやって来る。
「ウーン…。あれは具合が悪いんだな。ああいうのは、いつくたばっちまうかしれねえ。今のうちに、ふんだくれるだけふんだくっとこう」
一儲けしようとするが、ちょうど鰻が切れて商売を休んでいるところで、商売は開店休業状態。
「あの金魚…昨日死んだ? ネズミ…そんなに簡単には捕まえられないか。えーと…」
生きているものならいいだろうと、自分の赤ん坊を割き台の上に乗っけた。驚いたのは隠居。

「おいおい、それをいったい如何する気だ?」
「へえ、蒲焼きにするんで」
「馬鹿野郎。なんてことをしやがる。これ、いくらだ」
隠居、生き物の命にゃ換えられないと、赤ん坊を百円で買い取り、
「今度はこの様な非常な親のところに生まれてくるんじゃ無いよ」
そう言って、前の川にボチャーン!
「あー、いい功徳をした」

最近の若手ではオチを変えたり、筋を足したりしていますが、
なんか変・・・と言うより噺を壊してる感じですね。
歌丸師は赤ん坊じゃなく、女将さんにしています。「いい功徳・・・」の下りを鰻屋に言わせています。
これだとブラック的な要素が逆になり、趣旨と違ってきますね。
残酷なようだけど、私は最後は赤ん坊の方が良いと思いますね。
その方が単なる笑い話ではなく教訓としても優れていると思います。

落語にモラルを求める野暮な噺家さんは、この結末を変えようとしますが、
料簡違いもはなはだしく、このブラックなオチにこそ、エセヒューマニズムを超越した、人間の愚かしさへの率直な認識があると思うのです。
歌丸師の改作がぎりぎりでしょうね。
「一眼国」と並ぶ、毒と諷刺の効いたショートショートのような
名編の一つでしょう。続きを読む

猫に見える虎

はじめに・・・昨年の1月9日にブログを休みまして、それ以来一年間は毎日更新しようと思い、続けてきました。
あまり面白くない記事ばかりで、訪問してくださる方には申し訳ありませんでしたが、何とか皆様のコメントや閲覧のお陰で続ける事が出来ました。ここに改めて御礼申し上げます。
これからも宜しくお願い致します。m(_ _)m
P2060609今日は、左甚五郎の噺で落語ではおそらく最後の噺になる「ねずみ」です。

名工・左甚五郎は、十年も江戸・神田橘町の棟梁・政五郎の家に居候の身。
その政五郎が若くして亡くなり、今は二代目を継いだせがれの後見をしています。

ある年、まだ見ていない奥州・松島を見物しようと、伊達六十二万石のご城下・仙台までやってきました。
十二、三の男の子が寄ってきて、ぜひ家に泊まってほしいと頼むので承知すると、
うちの旅籠は鼠屋(ねずみや)といって小さいが、おじさん、布団がいるなら損料(そんりょう)を払って借りてくるから、二十文前金でほしいと、言います。

なにかわけがありそうだと、子供に教えられた道を行ってみると、宿屋はなるほどみすぼらしくて、掘っ建て小屋同然。
前に虎屋という大きな旅籠(はたご)があり、繁盛しています。
出てきた主人、うちは使用人もいないから、申し訳ないが、そばの広瀬川の川原で足をすすいでほしい
と言うから、ますますたまげます。
その上、子供が帰ってきて、料理ができないから、自分たち親子の分まで入れて寿司を注文してほしい
と言い出したので、甚五郎は苦笑して二分渡す。

それとなく事情を聞くと、このおやじ、卯兵衛(うへえ)といい、もとは前の虎屋のあるじだったが、
五年前に女房に先立たれ、女中頭のお紺を後添いにしたのが間違いのもと。
性悪な女で、幼いせがれの卯之吉をいじめた上、番頭の丑蔵と密通し、たまたま七夕の晩に卯兵衛が、
二階の客のけんかを止めようとして階段から落ちて足腰が立たなくなり、寝たきりになったのを幸い、
親子を前の物置に押し込め、店を乗っ取ったと、いうのです。

卯兵衛は、しかたなく幼友達の生駒屋(いこまや)の世話になっていたが、子供の卯之吉が健気(けなげ)にも、
このままでは物乞いと変わらない、おいらがお客を一人でも連れてくるから商売をやろう
と訴えるので、物置を二階二間きりの旅籠に改築したが、客の布団も満足にないありさま。

宿帳から、日本一の彫り物名人と知って卯兵衛は驚くが、同情した甚五郎、
一晩部屋にこもって見事な木彫りの鼠をこしらえ、たらいに入れて上から竹網をかけると
「左甚五郎作 福鼠 この鼠をご覧の方は、ぜひ鼠屋にお泊りを」
と書いて、看板代わりに入口に揚げさせ出発した。

この看板を見た近在の農民が鼠を手にとると、不思議や、木の鼠がチョロチョロ動く。
これが評判を呼び、後から後から客が来て、たちまち鼠屋は大繁盛。
新しく使用人も雇い、裏の空き地に建て増しするほど。
そのうち客から客へ、虎屋の今の主人・丑蔵の悪事の噂が広まり、虎屋は逆にすっかりさびれてしまう。

丑蔵は怒って、なんとか鼠を動かなくしようと、仙台一の彫刻名人・飯田丹下(いいだ・たんげ)に大金を出して頼み、大きな木の虎を彫ってもらう。
それを二階に置いて鼠屋の鼠をにらみつけさせると、鼠はビクとも動かなくなった。

卯兵衛は「ちくしょう、そこまで」と怒った拍子にピンと腰が立ち、江戸の甚五郎に
「あたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を書いた。
不思議に思った甚五郎、二代目政五郎を伴ってはるばる仙台に駆けつけ、
虎屋の虎を見たが、目に恨みが宿り、それほどいい出来とは思われない。

そこで鼠を「あたしはおまえに魂を打ち込んで彫ったつもりだが、あんな虎が恐いかい?」
としかると、「え、あれ、虎? 猫だと思いました」

前にも書きましたが、三代目三木助師が、浪曲師の広沢菊春師に「加賀の千代」と交換にネタを譲ってもらい、脚色して落語化したものです。
「甚五郎の鼠」の演題で、昭和31年7月に初演しました。

「竹の水仙」「三井の大黒」ト並んで甚五郎三部作とも言われています。
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