はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2011年12月

人間何が幸いするかわかりません梯は昇るモノ降りるモノ?

gyokei001今日は今年の最後なので、それにふさわしい噺「御慶」です。

 富に凝っている八五郎が年の瀬に梯子の上に鶴が止まっている夢を見たので、鶴一八四五番の札を買おうとして、女房の着物を脱がして質に入れて買いに行ったが売り切れだった。
 帰り道で易者に見て貰うと梯子は下から上に昇るものだから、八四五ではなく逆に鶴一四五八番を買いなさいと教えられる。
 買って見るとなんとこれが千両の大当たり。現金だと二百両割引かれるが二月までは待てないので、その場で八百両を身に着けて家に戻った。
 たまっていた店賃を払って、正月には裃を着て年始回りに出掛けることにした。長い口上は覚えられないので、短い年始の言葉を大家に教えてもらった。「おめでとうございます」には「御慶」と答え「どうぞお上がりなさい」と誘われたら「永日」と断る。
 正月になって、得意になって行く先々で御慶と永日の挨拶を続けるが、辰っつあんが外出から帰って来たところで「御慶」と言ったら「なんと言ったか分からねぇ」と言われ
「ぎょけぇったんだ」「恵方参りの帰りだ」

暮れから正月にかけて話が通じているのはこの噺だけですね。
それだけ珍しいとも言えます。
但し、思った程高座には掛けられない噺だそうで、噺家さんいわく「儲からない噺」だそうです。
CD等では小さん師や志ん朝師が有名でいい出来ですが、私は断然この噺は小さん師だと思っています。
なんたって、最後の「御慶」三連発が可笑しいです。
個人的には小さん師のくすぐりでも屈指だと思います。

富くじが二ヶ月待てば全額貰えたと噺の中では言ってますが、実際は寄付金を取られ、次回の富くじを大量に買わされ、2〜3割は減らされたそうです。世の中旨い話はそうは無いと言う事ですね。

皆さんは今日の抽選の年末ジャンボは買いましたか?
さて結果はどうでしたか?
あたらなかった方にせめて初夢はいい夢を見られます様に、七福神の画像を貼り付けました。
これをプリントアウトして、枕の下にひいて寝てください。
夢の世界だけでも思うがままとか(^^)
sitifukujin


本年もご贔屓に預かり、大変有難うございました。
今年は1月に一日だけ更新を休みましたが、それ以外は毎日更新しました。
年内は休まずに更新しようと言う目標を2月ごろに立て、一応達成することが出来ました。
来年もなるべく更新していく所存ですが、至らぬ所がありましたらコメント等戴ければ幸いです。
来年こそ皆様に善き事がありますように・・・・hajime
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荒川と言う川 その6 人々の暮らし愛された風景

過去5回に渡って荒川について書いて来ましたが、いよいよ今回で最後です。
かなり私的になって仕舞いましたが、個人のブログと言う事でご勘弁戴きたいと思っています。
さて最後は、開削後の風景を愛した人々についてです。
img059開削後の荒涼とした風景を最も愛したのは、永井荷風です。
彼は荒涼とした荒川を何度も訪れ、随筆「放水路」を表しています。特に荒川と綾瀬川にはさまれた中土手と呼ばれる所を訪れて散策し、スケッチ等も残しています。
彼は「盧萩と雑草と空との外、何物も見ぬこと、人と合わぬ事が良い」と語っていたそうです。
このスケッチは、「断腸亭日記」に書かれた挿絵です。昭和7年1月22日だそうですが、私が幼い頃見た景色と殆ど変わっていませんね。それだけ何も無かったのです。



他にも、鏑木清方、岡本かの子、田山花袋、や漫画家の滝田ゆうが作品を残しています。
img062これは清方の「葛西橋放水路河口」です。荒涼とした感じがよく出ていますね。
このように以前とは違う景色が生まれましたが、それを愛した人々も大勢生まれたと言う事ですね。
また、映画などでは「東京物語」や「下町の太陽」、近年では「3年B組金八先生」等が荒川とその周辺を舞台としています。

最後に、江戸期以前、長禄年間(1457-60)に書かれた、江戸の地図を貼り付けたいと思います。
かなり拡大しますので、是非拡大して御覧ください。
当時からあった村や地名、又家康入府以前の街道の様子等や整備される以前の河川の様子等、
かなり大雑把ですが昔を思うと楽しいと思います。「この川はこの頃からあったのだ!」なんて発見がありますよ。(^^)
img061最後に、出来の悪いレポートでしたが、最後まで御覧戴き、有難う御座いました。
今回の「人々の暮らし」はひとつにまとめようと思ったのですが、長くなるので分割し二回に分けました。
今後、何かありましたら、また地元の歴史について書いてみたいと思います。

荒川と言う川 その5 人々の暮らし’清箸砲弔い

荒川の経緯について書いて来ましたが、ここで違う側面から書いてみたいと思います。

2315-4荒川放水路が開削される以前、葛西と呼ばれるこの地方は、農村地帯でした。
主な作物は、小松菜、亀戸大根、千住葱、金町小蕪、本田瓜等が多く栽培されていました。
中でも小松菜、亀戸大根は有名で、小松菜は、旧幕時代徳川将軍が葛西地方に鷹狩に来たときに地方の名物として菜を献上し、はじめて「小松菜」の名称を得、以後引き続き献上する慣例となりました。
2315-3
又、亀戸大根は江戸時代から明治時代に現在の江東区亀戸周辺で栽培され、小振りで葉が柔らかいのが特徴で、辛味のある漬物として庶民に親しまれてきました。
大正初期にその最盛期を迎え、この頃から産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。

それから、この地域でもゼロメートル地帯と言われる所では、作物が育たず、米も実が出来ないので、藁を使った
しめ縄等を作っていました。江戸城に毎年治めていたそうです。
手前味噌になりますが、我が家には江戸城に入場する為の通行札があります。
区の文化財に指定されています。
江戸城の奥に入れるのは基本的に武士、それもちゃんとした大手門から入れるのは、大名クラスだけですので、特別な通行札が発行されました。
中に入ると十万石の格式があったそうです。
img_624644_19692234_1
堀切等は水害が酷い地域だったので、花菖蒲の栽培に適していたので、花菖蒲の栽培が盛んに行われました。
最盛期の大正時代には6箇所の菖蒲園が開いていました。
そこには遊園地が併設されていたり、園内には山河が造られていたり、趣向を競っていました。

荒川が開削されてからは、住宅化が進み、戦後は都心から焼けだされた方が住み着いたりして、このような作物や花の栽培は行われなくなりました。

いま、この地域を散策してもほんの数十年前までは、このあたりが、水郷地帯で風光明媚で都心から最も近い観光地だったとは信じられません。
それほどまでに、荒川放水路と言う川は人々の暮らしも、街の様子も全て変えてしまったのです。
それと引き替えに水害の恐怖からは逃れられたのです。
今回は簡単にしました。
次回は荒川をこよなく愛した、永井荷風の事を少し書いて、このシリーズを終わりにしたいと思います。

一年の最後にやって来る恐ろしいヤツ

100228_2今日はいよいよ年も暮れて来ましたのでこの噺「掛取万歳」です。
ものの本によりますと、初代林家蘭玉師の作と記載されていまして、その後2代目桂蘭玉師が大きくアレンジし、
現在の形に近い物になったそうです。
最も最近は演者の得意な芸を入れて演じられていて演題も単に「掛取り」と表記される事が多いです。

八五郎の家は大晦日だというのにお金がありません。そのことで女房と喧嘩になりそうなので、
困った八五郎は借金取りの好きな趣味で断りをしてやろうと思いつきます。

狂歌マニアの大家相手には「貧乏をすれど我が家に風情あり、質の流れに借金の山」などの狂歌を並べ、
最後は歌舞伎の菅原伝授手習鑑のパロディに持ち込んで返済の延期を約束させてしまいます。

魚屋の金公には、喧嘩っ早い相手の性格を利用。「借金をとるまで梃子でも動かない!」と言ったのを逆手に取り、「金が入るまで、そこに何十年でも座っていろ!!」とやり返して結局借金を棒引きにさせてしまう事に。

芝居好きの酒屋の番頭には、番頭を仮名手本忠臣蔵の上使に見立てて招きいれ、近江八景の駄洒落で言い訳した後芝居がかりで追い払ってしまうと言う離れ業。

三河屋の旦那には、旦那を三河万歳の「才蔵」に見立て、萬才の調子で「待っちゃろか。待っちやろか。待っちゃろかと申さあば。ひと月ならひと月目、二月なら二月目、こけら〜じゃどうだんべえ。」「なかなか、そんなことじゃあ〜勘定なんかできねぇ」「できなけれぇば、待っちゃろか」の掛け合いに持ち込み、最後には呆れた旦那が「ならばいつ払えるんだ」と問うと、「ああら、ひゃーく万年もォ、過ぎたなら(払います)」

元は上方落語ですが、上方では「掛け取り」または「天下一浮かれの掛け取り」という題で演じられます。
ちなみに、初期の型では八五郎が自宅内に篭城してしまい、困った掛取りが隣の主人に「火事だ」と叫んで追い出してくれと頼むが、八五郎が窓から五十銭出して「これで火を消してくれ」とやり返してしまうと言う落ちが使われていたそうです。

昔は掛売りですから、大晦日に払わなくてはならず、まとまったお金が必要でした。
そのお金が無い!と言うのですから一大事な訳です。
三代目金馬師は払いを節分まで延ばし、演題も「節分」と言う題で演じていました。

落語協会副会長の柳亭市馬師は得意な歌で、それも三橋美智也さんのファンと言う人を登場させて、噺の中で思う存分歌っています。
とにかく芸達者な演者に掛かると、この上なく楽しい噺です。
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この年末に寄席に行ってるおめでたい奴

o0800060011295734596昨日は又、浅草に行きました。正直用事が貯まってて、寄席どころじゃ無いのですが、新聞屋が集金のついでに27日までしか無い招待券、それも昼の部。を持ってきました。
寄席フェチの自分としては万難を廃しても行かなければなりません!(どんな奴だよ!)
で、朝の5時から用事を片付け午後に時間を作りました。
それでもやや遅れて着いたのは、仲入りの小柳枝師の処でした。と言うよりやっと間に合ったと言う感じですね。

演目は年末にふさわしい「掛取り」です。酒屋の番頭が芝居掛かりになる処が良かったですね。
下座の師匠も大活躍でちょっと本寸法でした。
昔、芝居を見られない人が寄席で雰囲気を味わったと言うのが判る様な高座でした。
これだけでも来たかいがありました。

wモアモアの漫才のあとは、夜席と交代で平治師でなんと「代書屋」これは権太楼師の代書屋と同じで、権太楼師より、”湯川秀樹”さんの壊れっぷりが半端無かったですね。

次が遊三師で久々の「パピプペポ」前はよく聴きました。
俗曲の美由紀さんが色っぽく喉を聴かせてくれました。
「墨田区在住の芸人です」と必ず自己紹介します。

トリは金遊師で「大工調べ」でした。
夏の「禁演落語会」でトリで「品川心中」を聴きましたが、じっくり聴くのはそれ以来です。
癖が無い話し方で、少しトボけた味がありますが、正直少し水っぽいです。
薄いと言うか、物足りない感じですね。
それに与太郎が足りないと言うより、のんびりした若者と言う描き方でしたね。
これは始めてかも知れません。

昼の部が終わって続きも見るぞ!と思ったら、なんとお客さんから電話。
来年そうそうの新年会の打ち合わせに後で来ると言う・・・休みだからと断れないのが零細企業の辛い処です。
でここで帰ってきました。
しかも、お客さんは中学の先輩ですからね・・・(^^)続きを読む
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