はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2011年11月

c-kagoya今日は「蜘蛛駕籠」です。
元は上方落語の「住吉駕籠」で、住吉大社が舞台ですが、明治時代に3代目柳家小さん師が東京に持ち込み舞台を鈴が森に変えて演じました。

鈴が森で客待ちをしている駕籠(かご) 屋の二人組。
ところが、前棒がおめでたい野郎で、相棒がはばかりに行っている間に、茶店のおやじをつかまえて
「だんな、へい駕籠」と遣る始末です。
次に来たのが身分のありそうな侍で、「ああ駕籠屋、お駕籠が二丁じゃ」「へい、ありがとう存じます」
「前の駕籠がお姫さま、後ろがお乳母殿、両掛けが二丁、お供まわりが四、五人付き添って」
と言うから、てっきり上客と思い、喜び勇んで仲間を呼びに行きかけたら
「そのような駕籠が通らなかったか」・・・
その次は酔っぱらい。
女と茶屋に上がり、銚子十五本空にして、肴の残りを竹の皮に包んで持ってきたことや、
女房のノロケをえんえんと繰り返し、おまけにいちいち包みを懐から出して開いてみせるので、
駕籠屋は閉口。
今度は金を持っていそうなだんなが呼び止めるので、二人は一安心。
酒手もなにもひっくるめて二分で折り合いがつき、天保銭一枚別にくれて、
出発前にこれで一杯やってこいといってくれたので、駕籠屋が大喜びで姿を消したすきに、なんともう一人が現れて、
一丁の駕籠に二人が乗り込みます。
帰ってきた駕籠屋、やせただんなと見えたのにいやに重く、なかなか棒が持ち上がらないので変だと思っていると、中からヒソヒソ話し声が聞こえるから、簾をめくるとやっぱり二人。
文句を言うと、江戸に着いたらなんとでもしてやるからと頼むので、しかたなくまたヨロヨロと担ぎ出します。
ところが、駕籠の中の二人、相撲の話になり、ドタンバタンと取っ組み合いを始めたからたまららない。
たちまち底が抜け、駕籠がすっと軽くなります。
下りてくれと言っても、修繕代は出すからこのままやれ、オレたちも中で歩くからと、とうとう世にも不思議な珍道中が出現します。
これを見ていた子供が、
「おとっつぁん、駕籠は足何本ある?」
「おかしなことォ聞くな。前と後で足は四本に決まってる」
「でも、あの駕籠は足が八本あるよ」
「うーん、あれが本当のクモ駕籠だ」

籠の底が抜けて、客が歩く部分の原話は享保12年の笑話本「軽口初賣買」中の「乗手の頓作」ですが、
実在した大坂・船場の豪商で奇人として有名だった河内屋太郎兵衛の逸話をもとにしたものともいわれます。

雲助は芝居や時代劇では悪く描かれていますが、事実は落語の様に善良な人が多く、米朝師も噺の中で、
「こういう(住吉街道のような人通りの多い)ところの駕籠屋は、街中の辻駕籠同様、いたってタチがよかったもので」と語っています。

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img035今日は変則的に投稿します。明日から平常運転致します。(^^)
今日、「東京かわら版」12月号が来ましたので、バレを・・・

表紙は写真の通り、談春さんがサンタのコスプレです。ちなみに昨年は白酒さんが同じくサンタのコスプレでした。
同じ衣装かい!? 確認しましたら白いモフモフの処が違っていました。失礼しましたww

「落語と私」は写真家の篠山紀信さん。落語は紀信さんは語るモノだそうです。なんか落語に対してツンデレ的な事を長々と書いてます。曰く、一時期(少年期)にはまっただけとか、今は落語と離れた暮らしだとか言ってますが、これは、「落語大好き」のテレですね。言葉の大事さについても書いています。結局、落語に感謝してるそうです。ww

インタビューは談春さん。自身について色々な事を丁寧に語っています。
「赤めだか」のことから師匠についての事とかですね。談志師が亡くなった直後ですが、もう長くない事は判っていたと思うので、この辺は言葉の裏まで読む必要がありますね。弟子が増えて師匠に感謝する気持ちとか・・
後はこれかの落語の活動とか震災での自分の気持ちとか、読み応えあります。
談春ファンのかたはこれだけでも買う価値はありますね。

「70年はひと昔」は声帯模写の伏見たかしさん。この方は痴楽師(四代目)のお弟子さんから、声帯模写に転向された方ですね。

SWAの活動が終了することで昇太さんが一言。思い出と御礼を書いてます。

若手の紹介は、三遊亭ぬう生さんです。この人一度しか見た事無いなぁ〜

「本日のお題」は「掛け取り漫才」です。これはもう圓生師で決まりでしょう。長唄と新内に「落語八景」と言うのがあり、そこに「掛け取り」と言う場面が出てくるそうです。酒屋の番頭に芝居掛かりで言い訳する箇所があるとか。
☆名作と呼び声の高い「幕末太陽傳」が12月23日からデジタルリマスターで蘇り、全国ロードショーだそうです。
テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町他
これは衛生で放送された時に録画しましたがVHSなので大きな画面で見たいですね。

堀井ちゃんのコーナーは、「千早振る」の時間データ^的な見方ですね。八五郎がどこで歌の解釈だっか気がつくまでの時間とか調べてます。

今年も31〜3でNHK「日本の話芸」のスペシャルがあります。内容は未定との事です。

今日はこんな処で失礼致します。(^^)

FAD23725一昨日、談志師がお亡くなりになられました。謹んでご冥福をお祈り致します。
24日は別の記事を用意していたのですが、急遽差し替えます。

2011年11月21日14時24分、家族に看取られて死去。死因は喉頭癌でした。
死去の報は、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えなかったそうです。
家族のみで密葬を挙行したので、弟子たち一門はテレビニュース等で知ったそうです。

私も亡くなったのを知ったのは、随分遅くでした。仕事をしてまして、ラジオも切っていました。
普段ならズウーと掛けているのですが、こんな時に限って掛けて居ないのですね。

談志師匠の経歴や生い立ち等を書いても仕方ないので、個人的な思い出を・・・

談志師は協会にいる頃は結構見ました。と言うよりそれからは生では1〜2度しか見てないです。
ひとり会のチケットは中々取れませんしね。

上野の鈴本でしたか、談志師が仲入りで登場しまして、髭を生やしていました。
昭和50年前後でしたかねえ。驚きました。
そして「噺家は眼鏡と髭は御法度なんだが、俺くらいになると関係無いからね。」
「その証明に今日は色っぽい噺をしよう」
そう言って「紙入れ」を演じました。
最初は違和感ありましたが、すぐに噺に引き込まれました。
最後はお客さんが皆、大拍手で下がりました。
あの頃はまだ、イリュージョンを唱える前でした。
個人的にはこれを唱えてから、普通の落語から乖離していったと思います。
落語と言うより、噺の形を借りて自分の思いを話していた気がします。

一方、評論家的な立場では、私は文句なく好きです。
下手な評論家より、面白かったし、その事の確信をいち早く掴んで、我々に晒してくれました。
天才と言うより奇才(鬼才)だったと思います。
この点から言えば、もう出て来ない人物だと思います。

あの世に行って、小さん師匠と仲直りするかなぁ?
極楽亭では、「志ん朝、談志二人会」の準備をしているでしょうね。(^^)

師匠、今まで楽しい噺を沢山有難うございます!
残してくれた沢山の音源でこれからも楽しませて貰いますね。(^^)

團菊爺になって、「志ん朝も談志も見たことねえのかよ!」って言おうかしら(^^)
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hatigoro今日は「首提灯」です。

原話は、安永3年(1774年)に出版された笑話本・「軽口五色帋」の一遍である『盗人の頓智』だそうです。
もともと小ばなしだったのを、明治期に四代目橘家円蔵が一席にまとめたものです。

博打で懐の暖かい江戸っ子の酔っぱらいが芝山内を通りかかりました。
最近辻斬りや追いはぎが出るのでぶっそなので、景気付けに大声で通り抜けようとしたら武士に呼び止められました。
 辻斬りか追い剥ぎかと一瞬ビックリしましたが、その様でもなさそう。
安心して酔っぱらった勢いで武士に反抗し毒づきます。
武士は、「麻布にめえるにはどうしたらいいか 」と聞いてきたが、道の聞き方を改めて説教し、さんざん武士に楯をつきます。
「切りたかったら、切りやがれ」と悪口狼藉。
その上、痰を紋服に吐きかけて悪口を並べる始末。
 武士の顔色が変わると改めて、もう一つ吐きかける。さすがの武士も我慢が出来ず、雪駄をならして後ろから腰をひねって「えぃ!」。
チャリーンと鞘に収める早業は目にも止まらぬさまで、その後、謡曲を謡いながら去って行きました。
それでも後ろ姿に毒ずきます。、品川の女郎との一人のろけをしていると、「俺の首はこんな建付が悪くは無いんだがな?声がかすれてどこからか声がもれているぞ」。ガックと首が落ちそうになる所をかろうじて両手で直し、もしかしたらと、首筋を触って血が付いているのを見つけ、「野郎、やりやがったな」
そこに近くで火事が出て、人が大勢出てきて混み合ってきました。
弓張り提灯を持った人が駆けて来るし、「じゃまだ、じゃまだ!」とぶつかる者も出始めます。
「こちとら壊れ物を持っているのだ、落っこどしては大変」
と自分の首を 提灯のようにヒョイと差し上げ「はいゴメン、はいゴメン、はいゴメン!」

圓生師匠はこの噺で芸術祭賞を受賞しています。
他には正蔵師、小さん師、志ん朝師等が演じています。特に圓生師、正蔵師は、四代目円蔵師直伝だそうです。
志ん朝師は剣道の達人であった小さん師に刀の使い方を見てもらったそうです。

江戸時代、芝山内と呼ばれた増上寺の境内は、暗がりで常夜灯が置かれていたそうです。
それだけ暗くて寂しい所だったのですね。続きを読む

konya_zu今日は落語の中でもj純愛路線の「紺屋高尾」です。これは「こうやたかお」と読みます。「こんやたかお」とは言わないでね!

元の話は浪曲とも講談ネタとも言われています。それを圓生師が落語にしたモノです。
同じ系統の噺に志ん生師が演じた「幾代餅」があります。
後は八代目柳枝師が演じた「搗屋無限」があります。

神田紺屋町、染物屋の吉兵衛さんの職人で久蔵さんが寝付いてしまいました。
話を聞くと、国元に帰るため初めて吉原に連れて行かれ、当世飛ぶ鳥を落とす勢いの三浦屋の高尾太夫の道中を見て恋患いになり、錦絵を買い求めたのですが、全て高尾太夫に見える始末。
そこで、旦那は方便で、向うは売り物買い物、10両で会えるだろうから3年働き9両貯めて1両足してそれで連れて行くと言われ、久さん元気になって働きます。
3年後、その金で買うから渡してくれと親方に言うと、まさか本気だったのかと、気持ちよく着物も貸してくれて送り出してくれる事になります。
お玉が池の医者の竹之内蘭石先生に、連れて行って貰う事になります。
蘭石先生に流山の大尽になりすま様に言われ、首尾良く高尾太夫に会えます。
挨拶の後、「こんどは何時来てくんなます」そう言われ、思わず「3年経たないとこれないのです」と泣きながら全て本当のことを話すと、高尾は感動し、こんなにも思ってくれる人ならと、「来年の2月15日に年(年季)が明けたら、わちきを女房にしてくんなますか」。
久さんうなずき、夫婦の約束をする。揚げ代は私が何とかしますし、持参した10両と約束の証にと香箱の蓋を太夫から貰って、久さんは亭主の待遇で帰って来る。
夢うつのまま神田に帰ってきた久蔵は、それから前にも増して物凄いペースで働き出した。

「来年の二月十五日…あの高尾がお嫁さんにやってくる」、それだけを信じて。
仲間内の小言も何のその、翌年約束の日に、高尾は久蔵の前に現れ、めでたく夫婦になります。

圓生師はここで噺を終わらせていますが、この先もありまして、
夫婦となって店を開いた久蔵と高尾が、商売繁盛のために考案したのが手拭いの早染め(駄染め)と言うもの。 浅黄色のこの染物は、吉原に繰り出す酔狂の間で大流行したと言われていいます。
「かめのぞき」と言う名が付いていますが、その由来は・・・・
「高尾が店に出て、藍瓶をまたいで染めるのを見ていた客が、高尾が下を向いていて顔が見えないので争って瓶の中をのぞき込んだ」とも、あるいは瓶にあそこが写らないか覗き込んだとも・・・どっちでしょうね。(^^)

吉原の太夫と言う名称は最高級の遊女で初期の頃には大勢いましたが、育て上げるまでに時間と資金が掛かったので、
享保(1716〜)には4人に減り、宝暦10年(1760)には玉屋の花紫太夫を最後に太夫はいなくなったそうです。
 太夫というのは、豪商、大名相手の花魁で見識があり美貌が良くて、教養があり、吉原ナンバーワンの花魁。
文が立って、筆が立ち、茶道、花道、碁、将棋が出来て、三味線、琴の楽器が出来て、歌が唄えて、和歌、俳諧、が出来た。それも人並み以上に。借金の断りもできたと言うスーパーマンですね。
逆を言えば、吉原の客が豪商や大名から庶民になって来て、必要が無くなってきたと言う事ですね。

有名な高尾太夫は諸説有るが11人いたそうです。
そのうち四代目が「反魂香」に出てきた「仙台高尾」でこの紺屋高尾は五代目だそうです。
子供3人をもうけて、八四才の天命を全うしたとのこと。

この噺は三遊系の噺なのでしょうね、柳家の噺家さんはあまり演じませんね。
談志師がよく演じた位ですかね。弟子の談春師もやりますね。
かと言って、柳家の噺家さんが、柳枝師の「搗屋無限」を演じたのも知りませんし、やらないのですかね?

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