らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2011年06月

牡丹燈籠のお露さんて・・・

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今日はあんまり暑いので「牡丹燈籠」の事でも書いて涼しくなろうかと考えたのですが、この長編噺を私ごときが書けるハズもなく、中途半端に成ることをお許しください。え、何時もだって・・・それはそれは申し訳ありませぬw

原話と言われる話がありまして、中国の「剪燈新話」の「牡丹灯記」と言う話ですね。
これは私も正雀師で二回ほど聴いていますが、燈籠を持って会いに来ると言うモチーフを借りただけですね。

あらすじは・・・ 旗本飯島平左衛門の娘、お露は浪人の萩原新三郎に恋したあげく焦れ死にをする。お露は後を追って死んだ下女お米とともに、夜な夜な、牡丹灯籠を手にして新三郎のもとに通うようになる。その後、新三郎の下働き、関口屋伴蔵によって、髑髏を抱く新三郎の姿が発見され、お露がこの世の者でないことがわかる。このままでは命がないと教えられた新三郎は、良石和尚から金無垢の海音如来をもらい魔除けの札を張るが、伴蔵の裏切りを受け、露の侵入を許してしまう。
以上の主筋に、飯島家のお家騒動。伴蔵と女房お峰の因果噺がからむ。 (wikiより)

超簡単に書きましたねw
実際は因果が巡るのですよ。此頃の圓朝作品の常として敵討ちが絡んできます。
真景累ヶ淵も聖天山の後は敵討ちの話になりますしね。

一番の人気の箇所は、俗に「お札剥がし」と言われる処ですね。
このタイトルは圓生師が録音の時に付けたそうですが、それが定着しましたね。

唯一日本で足の有る幽霊ですか?
妖怪では”あしあらい”なんていますがね(^^)
出会いが梅見の時期で、その夏にはもう亡くなって幽霊として出てくるのですから、思いが深いですね。
「野ざらし」の八五郎じゃ無いですが、いい女なら幽霊でも構わない?
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浅草下席8日目(後半3日目)

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え〜こないだに続きまた、浅草に行きました。
今回お目当ては遊雀さん。
芸協は浅草では5日間で番組が替わるので、こないだとはトリも出演する噺家さんもかなり替ります。
変わらない噺家さんもいますが・・・

到着した時は六時少し前でコントD51さんがコント中。本来出番じゃ無いので代演でしょう。
続いて柳好さんで「子ほめ」でしたが、少し急ぎ過ぎで、乱暴な持って行き方でした。
この方はフラがあるので、普通に話してるだけで、面白いのに残念です。

とん馬さんで「小言念仏」で喜多八師と同じ型でした。
マグナム小林さんの後は桃太郎さんで「裕次郎物語」
これ寄席向きの噺ですね。CD持ってるけどCDで聴く噺じゃ無い。
仲入りで食いつきが代演で、遊馬さん。
これは嬉しい代演です。演目は「手紙無筆」でしたが、良くなって来ましたね。
この兄貴と弟分のやり取りも良かったですね。
小天華さんのマジックの後は遊史郎さんで「悋気の独楽」
お次も代演でしたが、南なんさん登場!これはめっけものです。
「夏泥」をたっぷりと演じてくれました。
wモアモアの漫才の後は楽輔さんで「鰻屋」
そして私は初めてみたのですが、膝代わりが、翁家喜楽さんで太神楽で、初めて見る芸も多かったですね。
芸の由来も紹介してくれました。
傘で色んなモノを廻す芸ですが、金の輪っかはお客さんの「金回りが良くなる様に」
枡を廻すのは「益々繁盛」と言う意味で芸をするのだそうです。

そしてトリはお待ちかねの遊雀師です。
普通は夜席のトリと言うと、大物の噺家さんでないと、大帰る方が結構いるのですが、昨夜はほとんどの方が帰りません。そして出囃子に乗って登場した瞬間、寄席全体の空気が一瞬重くなった様な感じで期待が一心に遊雀さんに向けられるのが判りました。空気が一瞬熱くなるとでも言うのでしょうか。
小三治師がトリの時と同じ様な感じでしたね。
沢山の「待ってました!」の掛け声が飛び交います。
演目は「宿屋の仇討」で、余り無駄な事は言わず噺に入っていきました。
これが、五代目柳朝師の型をベースに柳家の型を合わせた様な感じで、
江戸っ子三人連れの描写は陽気でそそっかしいと言う設定で、万事世話九郎はちょっとシニカルな感じでした。
噺そのものが面白い処に遊雀さんの独自のくすぐりでさらに爆笑編に仕上がっていました。
緞帳が完全に降りる迄、満員の客が誰一人として立とうとはしませんでした。
これだけでも、昨日の高座が如何に良かったかが判ると思います。

遊雀さんはこのまま行くと、芸協の大きな柱になるでしょうね。
遊雀さん目当ての客も現れて居るような気がします。続きを読む

あなたも反魂香を使いたい人います?

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え〜今日は「反魂香」と言う噺です。

あらすじは・・・
 夜中にカネをたたいて回向をしている長屋の坊主の所に、八五郎が夜、手水にも行けないと掛け合いに来た。 坊主は名を道哲と言い元・島田重三郎と言う浪人であった。吉原の三浦屋の高尾大夫と末は夫婦にとお互い惚れあっていた。ところが、伊達公が横から見初めて大金を積んで身請けしてしまった。だが、高尾は重三郎に操を立てて決して生きてはいないと言う。その時取り交わした、魂を返す”反魂香”で、回向をしてと言い残した。これを焚くと高尾が出てくると言う。
見せてくれと八五郎が言うので、火鉢のなかに香をくべると高尾の幽霊が出てきた。香の切れ目がえにしの切れ目、無駄に使うなと言う。
八五郎は亡くなった女房のために、この香を分けてくれと言うが、私と高尾だけのための物だから、貴方には役に立たないからと断られる。
 そのまま夜中に、香を買おうと生薬屋を起こしてみたが、何という香だか忘れてしまった。いろいろ吟味して、見つけたのは越中富山の反魂丹。これを三百買って帰ってきた。家の火を熾し直し反魂丹をくべながら女房”お梅”のことをあれこれ考えていた。出てこないので、足して足して全部をくべたが出ない。煙でむせていると、表から「ちょっと、八つぁん」。煙の中からではなく、堂々と表から来たぞ。「ちょっと、八つぁん」、恥ずかしいと見えて裏に回ったな。「そちゃ、女房お梅じゃないか」、「いえ、裏のおさきだけれども、さっきからきな臭いのはお前の所じゃないの」。

噺に出てくる高尾太夫は俗に「仙台高尾」と呼ばれる大夫です。
この仙台候と高尾太夫の噺は三代目金馬師が「仙台高尾」として演じています。

反魂香とは・・・中国、漢の武帝が李夫人の死後、香を焚いてその面影を見たという故事による。焚けば死人の魂を呼び返してその姿を煙の中に現すことができるという想像上の香の事で、実際には無いとされています。

反魂丹は越中富山の当時有名な薬で霍乱(かくらん=暑気あたり)・傷・食傷・腹痛などに効くといわれています。

この噺のもう一人の主人公”道哲”ですが、以前は噺の中でも自己紹介してましたが、因州鳥取の浪人島田重三郎と言いました。
ある晩友人に誘われて吉原に始めて足を踏み入れたが、そこで出会った高尾にぞっこん惚れて、高尾も重三郎に惚れて、二人は末は夫婦にと誓い合いましたが、伊達公に横取りされてその上、殺されてしまいます。その回向をする為、出家して名を道哲と改め、吉原遊女の投げ込み寺西方寺に住みついて、高尾の菩提を弔らっていたら、それが噂になり、吉原通いの遊客からは土手の道哲と呼ばれる様になったそうです。
まあ、今で言うイケメンだったのでしょうね(^^)

本当にこんな香があったら、誰を蘇らせて会いたいですか?


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上方落語協会が分裂?

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大阪で天満天神繁昌亭を興行している上方落語協会に分裂の噂があります。
分裂と言っても発展的分裂を考えている様です。
詳しくはここで↓
http://npn.co.jp/article/detail/72109193/

でも、こうなると松竹芸能や吉本との関係はどうなるんでしょうねえ?
また、一件の寄席を2派で交代で興行してもいまいちの様な気がします。
交代で興行するなら、もう一件寄席が欲しいですねえ。
小さくても良いから独立した興行が打てる寄席があれば、もっと活性化すると思うのです。

東京とは事情が違うので簡単には行かないとは思いますが、
上方も噺家さんが増えてきていて事実上これからは出番の
無い噺家さんとか出てくるのでしょうね。
それに分裂すれば、協会を飛び出した一門の方も、新しい方に加入
しやすくなるのでは?なんて思いました。
でも会長がざこばさんってどうなの?続きを読む

妲己のお百は稀代の悪女

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今日は怪談噺「妲己のお百」です。
暑いんでねえ〜もう参りました。(^^)
あらすじは・・・
 実は「妲己のお百」とあだ名されるとんでもない悪女は、今は美濃屋の”こさん”として女主人になっている。
そこへ元は芸者で目を患っている”みねき”ちが、娘”およし”を預けにくる。”こさん”の勧めで”みねきち”は医者にかかって泊まりの養生をすることになったが、そのあいだに”こさん”は一芝居打って”およし”を吉原に売り飛ばしてしまった。
 いったん美濃屋に戻った”みねきち”は「”およし”に会いたい」と言うが、こさんは適当な言い訳で誤魔化して先延ばしにする。再び目が悪くなり、物音がする度に”およし”のことを言うので、バレる前に昔の仲間の重吉を雇って殺してしまうことにする・・・

悪い女ですねえ、自分の事しか考えていないという性格で、この後の殺しの場面は凄い迫力があります。
談志師匠怪談噺として、音源を残してくれています。

元々は
妲己のお百とは
「妲己」は中国殷王朝末期の妃で、悪女の代名詞的存在とされました。狂言作者・河竹黙阿弥の「妲己のお百」で知られる吉原の遊女、毒婦のお百が生まれました。秋田藩佐竹家の御家騒動に絡んで夫の那珂忠左衛門は斬罪となり、彼女はその後転変の人生を送ります。その転変ぶりは「秋田杉直物語」や「増補秋田蕗」などで彼女の性格を拡大して描かれ、京・大阪・江戸をへめぐった淫婦として、妲妃の名前を冠して講談「妲妃のお百」となり、歌舞伎化されました。

稀代の悪女って事なんですね。

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落語って聴き手も成長するよね

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今日は落語の聴き方とでも申しましょうか、そんな事を少し。
まず、落語を最初に好きになってよく聴くのが、滑稽噺ですね。
枕で笑いを取り、噺に入って行くと言う・・これを大体最初に聴きますね。
何も考えずに只、笑って楽しいですね。

少し慣れてくると、それだけでは物足りなくなります。
落し噺でも少し人情噺ぽいのが聴きたくなります。
本格的な人情噺とはでは行かなくても、最近では人情噺に分類される噺ですね。
「芝浜」」「藪入り」「火事息子」や「鰍沢」も入れても良いかな?
いわゆるそんなに長くなく聴ける噺ですね。
情景描写等が重要になってきます。

ここを通過すると、笑いの少ない本格的な人情噺に入っていきますね。
これを聴くには体力や知力も入ります。
時代背景を考察する知識も必要になって来ます。

そして、そこをも通過していくと、聴く方も名人級になってきますね。
演者の調子が悪い音源や、病後でよく舌が廻らない録音や最晩年で声が震えていても、
それさえ、愛すべき噺の一部だと容認できる様になったら、それは素晴らしいですね。
聴き手としても一流ではないでしょうか。
かの玉置さんは「寄席の座布団に座る噺家の出来不出来が、その日のお景物と思えるように成るまでには月謝もひまも必要で、そうなればいっぱしの落語通で、粋なおじさん(おばさん)となる訳でございます」
と言ってましたね。(^^)

かの、正岡容先生は寄席で良く笑っていたそうです。どんな事でもよく笑うので、若い頃の談志師が聞いたそうです。すると「笑えるねえ、笑えるよ。寄席の中で育ってきて、毎日聞いていていつも笑えるんだ、可笑しいじゃないか、可笑しいから笑うんだよ」と言ったそうです。
これがどう云う意味なのかは談志師も色々考えたそうです。
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