らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2011年04月

古隅田川について

昨日は「野ざらし」について書きましたが、
今日はその多門寺のある鐘ヶ淵に流れこんでいた古隅田川について
書いてみたいと思います。

古隅田川とは、、かって江戸以前に隅田川に利根川本流が流れ込み、
江戸湾に通じていた頃の流れが古隅田川と呼ばれています。
今では隅田川は利根川とは縁がありませんが、本来は利根川の支流だったのです。
現在の東京都の地図で足立区と葛飾区の境を見ますと中川の常磐線鉄橋中川橋付近から小菅東京拘置所脇まで、くねくねと続いておりますが、これが旧隅田川流路の古隅田川跡です
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これが当時の流れを今の図に書いたモノです。随分曲がりくねっていますね。
当時はかなりの大河だった様で、当時はこちらが本流でした。
隅田川は荒川の支流ですが、元々の荒川は江戸湾には流れこんではおらず、
以前は入間川が江戸湾にそそいでいました。
それで入間川の下流部を隅田川と呼んだそうです。
江戸時代に入ると、水害から守るためや水運などを考えて川が付け替えられます。
本来利根川の支流だった荒川は付け替え工事が行われ、入間川と合流します。
それまで入間川だった川は荒川が本流になり、入間川が支流になってしまいました。
当然古隅田川も利根川東遷事業で、経路が変化したり流入口を塞いだりした為
段々と水量が少なくなり、江戸中期にはかなり狭くなってしまいました。
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今では葛飾の一部が親水公園となっています。
また、綾瀬川も今とは違って鐘ヶ淵の辺りで隅田川に注いでいて、今の荒川と並行して流れている箇所は
「古綾瀬川」と言う小川に毛の生えた様な川が流れていました。
荒川を堀る時にその流れを利用したり、中川の旧路を利用しました。
今では公園となってしまった旧隅田川の跡に立って、
昔はこの流れが本来の流れだったと考えるととても感慨深いものがあります。
すぐそこで、緒方清十郎さんが釣りをしてたりして(^^)
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野ざらしと言う噺について

情報雑誌の草分けとして有名な「ぴあ」が休刊するそうですね。
「ぴあ」は創刊号から暫く、ずーと買っていました。
高校生の頃かな(年がばれますな)当時の名画座に「男はつらいよ」や「駅前シリーズ」「社長シリーズ」
をはじめ、「若大将シリーズ」をあちこちの名画座に学校帰りに見に行きました。
あの頃が一番面白かったですねえ〜(^^)
田中好子(スーちゃん)さんも亡くなってしまうし、昭和は確実に遠くなっていきますね。

なんて考えてしまいますが、
今日は、「野ざらし」について考えてみました。

2代目林家正蔵(沢善の正蔵)の作と言われておりまして、この人は本物のお坊さんだったそうです。
落語(江戸)はお坊さんのお説教が出発点なので、
お坊さんが作ったとしても不思議じゃありませんね。
それを、俗に初代圓遊師(鼻の圓遊)が爆笑落語に作り変えました。
上方では「骨釣り」ですが最近ではそのまま「野ざらし」で演じる噺家さんもかなり居るようです。

「野ざらし」と言うと何と言っても三代目の柳好師ですね。
「唄い調子」と言われる口調は、
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、
見事な芸で、お客はおろか
黒門町をはじめ、談志師等を魅了しました。
あの圓生師でさえ納得させたと言われています。
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これはその柳好師の「野ざらし」に出てくる多門寺です。
「すわ、多門寺の入会の鐘が陰にこもって・・・」
と言うあの多門寺です。他の方は金竜山浅草寺でやりますね。

今の演じるほとんどの方は柳枝師の方だそうですね。柳好師の方で演じたのは、談志師と圓楽師ですか、
また、圓遊師もよく演じたそうです。これは立川藤志楼さんがやってます。
柳橋先生の噺も良かったですよ。
何を隠そう、初めて生の「野ざらし」を聴いたのが柳橋先生でした。(^^)

今では小三治師が最後まで演じた録音が何種類か出ていますが、分かり難いサゲなので、
ほとんどの噺家さんは、八五郎が川に落ちる処で切ってます。
一昨年かな小遊三師もそこで切っていました。この噺はとても小遊三師に合っていましたね。
たまに若手が高座に掛けますが、もっと聴きたい演目ですね。

よく言われるのが季節ですね。春なのか秋なのかですが、一応秋だそうですが、
こないだ春だと言っている噺家さんがいました。
どっちなんでしょうね?ハッキリしてくれ!でも両方に掛けられるから良いのか?(^^)


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吾妻橋を舞台にした落語

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え〜、落語の噺の中で一番出てくる橋が吾妻橋でしょう。
ざっと数えただけでも、結構あります。
「双蝶々」「文七元結」「辰巳の辻占」「星野屋」等は橋そのもが舞台となっています。
「双蝶々」「文七元結」はあまりにも有名ですね。
只このうちの「双蝶々」以外は身投げが絡んできますね。
昔は本当に身投げの名所だったのでしょうか?
今でも墨田区側の橋のたもとには、何やら自殺を思い止まらせる文が書いてあります。
橋そのものが出てこなくても、「船徳」等は橋の下を通って大桟橋迄行っていますし、
「宮戸川」「付き馬」「粗忽長屋」等はすぐ近くが舞台ですね。
「星野屋」の旦那は落語の世界で唯一隅田川に飛び込んだ人物ですね。
もっとも、わざとですがね(^^)
「後生鰻」なんかもここを舞台にして演じる噺家さんもいます。
「鰻屋」の最初の方で、友人に騙されて吾妻橋のたもとまで連れられてきて、大川の水を沢山おあがり」と
やられる人が出て来ます。
それに、この間記事にした「百年目」だってこの橋をくぐっています。
くぐらないと向島に行けないしね。w
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これは明治初年の吾妻橋です。明治7年には洪水で流失して仕舞います。
この後20年に鉄の橋が掛けられますが関東大震災でこれも消失しました。
その後昭和6年に今の橋が架けられました。
五街道雲助師や柳家喬太郎師は噺を作る時は何度もこの地を訪れて、
噺の参考にしたそうです。まあ都内ですからねw渋谷からだって銀座線で40分位ですかね?
それに浅草演芸ホールからは歩いても5〜6分だしね。(^^)
そういえば圓生師が「心中の本場が向島、身投げをするのが吾妻橋、犬に食いつかれるのが谷中の天王寺、首くくりが赤坂の食い違い」と言ってましたね(^^)
それから夏の噺の「唐茄子屋政談」も若旦那が唐茄子を背負って橋をフラフラしながら歩いて行き、
橋を渡ったあたりで転びますね。(^^)
詳しく見てみるともっと在るかも知れませんがね。

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皆さんはいつ落語を聴きますか?

たまに、自分は何で落語を聴いているんだろう?
と考える事があります。
普段でもMP3プレーヤーに音源を入れて、歩く時なんか聴いてます。
普通は音楽なんでしょうけどね(^^)
街歩いていても、皆さんイヤホンをして歩いている方が殆どですね。
してない人の方が少ないですね。
音楽は側を車が轟音を立てて通り過ぎて、一部分が聴こえなくても余り気になりません。
でも落語は一部分でも聴こえないと気になるんですよね。
この前なんか交差点の真ん中で聴こえなくなって、その場で巻戻して聴いて仕舞いました。
気がついたら信号が変わってました。(^^)
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これが私が使っているMP3プレーヤーです。
PD-205、某掲示板でお勧めだったので、買いました。メモリーはSDカードを刺します。
2Gまで対応してます。音もイイですよ。但し一旦電源を切ると最初から再生になって仕舞います。
そこだけが欠点ですね。単四電池で12時間とされていますが、8時間〜7時間位ですかね。
転送ソフトも要らないし、SDカードをPCに刺してファイルのやりとりが出来るので楽ですね。
これにお気に入りのイヤホンを刺して聴きます。
色々買いましたがこれが小さくて扱いやすくて、結構お気に入りです。

よく寝る時に落語を聴くと言う方は多いと思いますが、私は駄目ですね。
聴いていると終わるまで聴いてしまいますね。
最も寝るのはすぐ寝られます。ww

後はPCで事務的な仕事をしている時に好きな師匠の噺を掛けながら仕事してます。
後は、何もしないでちゃんと落語だけ聴いてる時ですね。
CD等音だけの時は目をつぶって聴くときもありますね。
動画が有っても後で音だけを聴くと随分印象が違いますよ。お試しを(^^)

追伸・・・cavan_club 1954さんが予告通り今日、扇橋師の「蕎麦の隠居」と言う珍しい噺をUPしてくれました。
     私も初めて聴きました。変わった噺で、扇橋師の口調がとても良いです。

http://www.youtube.com/user/HIROSHIOGURA#p/u

聴かれた方で、感想や意見の在る方はご本人のブログの方へ書いて戴きたいそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/cavan_club1954/62443514.html

葛飾の古東海道

今日は落語の噺はおやすみで歴史の話しです。

古東海道


これはその昔、鎌倉以前の律令時代の葛飾を通っていた
古東海道を示した地図です。
現在墨田区亀ヶ淵から四ツ木に入り、立石、奥戸と抜けて行きます。
最もそれよりも、もっと昔は三浦半島から船で房総半島に渡っていたそうですからね。ちゃんとした陸地じゃなかったそうでwww
その後、771年(宝亀2年)に東海道経路に組み入れられたそうです。
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地図の一番左の印のあたりの写真です。
先は荒川の土手で本当はまっすぐ走っていました。
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こちらは反対側で、先は国道6号水戸街道です。
下にわずかに写っているのは我が愛馬のヤマハメイト90です。

これに乗って近所や都内なら行きます。
なんでカブにしなかったと言うと、近所に販売店が無かったからです。夜逃げしちゃったんですよね本田の販売店さん(^^)
まあ、荷物も沢山乗せられるし、いいバイクです。

この道を古代の人々が行き交ったと考えると楽しいです。
ここは私の家から南に15分歩いた処で、家から逆に北に15分歩くと、
江戸時代の旧水戸道があります。
そのあたりは江戸時代以前の江戸の大河、古隅田川も流れていました
今もその名残があります。
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地図の右から二番目の印あたりに在るのが、立石の町名の元になった
「立石様」です。江戸時代から有名で、絵にも書かれました。
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浅草演芸ホール4月中席8日目

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昨日は月曜で仕事が休みなので、浅草演芸ホールに行きました。
2時半過ぎに到着し入ると、歌之介師が登場する処でした。
「龍馬伝」をやりまして、一階しか開いていない客席で八割の入の
客席が爆弾が落ちたような大騒ぎでした。
仲入りの後は白鳥さんで「マキシム.ド.のん兵衛」で、最初は
明らかに客が戸惑っていましたが、最後は大爆笑でした。

この日は代演が多く、夜席の権太楼師も代演で、昼のトリのたい平さんも代演。他にもさん喬師やペーさん、猫八さんも代演でした。
こう代演が多いと、正直ダレます。(^^)

さん喬師の代演で小勝師で漫談、馬風師も漫談でした。
昼トリは歌武蔵さんで「ぼやき酒屋」これが大当たり。
はん治師のとは噺の筋等は同じなのですが、全く違う噺のように
聴けました。正直面白かったですね。
はん治師のは原作の三枝師の感じが少し残っていますが、歌武蔵さんは
全く感じさせません。むしろ古典の「居酒屋」の様な感じなのです。
これは面白かったですねえ〜。
改めて歌武蔵さんの実力を感じました。

夜席に入りまして、小権太さん「初天神」、我太楼さん「権助魚」
そして正朝師の登場です。謹慎明けからでは初めてです。
演目は「替り目」をきめ細かく演じていました。
噺の出来で勝負すると言う雰囲気が出ていましたね。
次が川柳師で80歳に先日なったそうです。
100歳までやって人間国宝を目指すそうです。ww
演目はもちろん「ガーコン」めちゃくちゃ唄ってました。w

その後が三三さんで「三人旅」から「鶴屋善兵衛」をきっちりと、
これが良かったですねえ。
この噺は柳家の噺家さんがやりますが、「おしくら」あたりは
面白いのでよくやりますが、このくだりは珍しいかも。
扇遊師が「狸賽」で、仲入りが白楽師で「長屋の花見」でした。
小さん師のとは少し違う処もあるので、志ん生師のやり方なんでしょうかね?
いずれにしろ面白く聴けました。
目当ての権太楼師が休みなので、ここで帰宅しました。

おしらせ

私がネットで知り合いになった方で、最近コメントを戴いている
cavan_club 1954さんと言う方がいるのですが、
かなり貴重な音源をお持ちなのですが、
伝統文化の継承、普及と言う事で、
その一部をyoutubeにUPしてくれています。
珍しい音源からUPされていくそうなので、
未だ始まったばかりですが、段々増えて行くと思います。
現在は、談志「人情八百屋」、小三治「夜叉」、柳枝「山号寺号」の三本がUPされています。
是非、ご覧になって下さい。
cavan_club 1954さんのyoutubeのチャンネル

http://www.youtube.com/user/HIROSHIOGURA#p/u


次の予定は、入船亭扇橋師匠の若い頃の音源だそうです。
期待出来ます。(^^)
 
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