IMG_6240『湯屋番』
今日は「湯屋番」です。若旦那の妄想ににわか雨が降る描写があるので、夏でも良いだろうと思いました。

『原話』
江戸時代から続く古い話で、明治の、初代三遊亭圓遊師(鼻の圓遊)が得意としていたそうです。
出て来る湯屋の名が柳家は「奴湯」三遊亭は「桜湯」となっています。
最も最近は「松の湯」だとか勝手な名前を付ける噺家さんもいます。
上方でも仁鶴師が大阪に持ち帰りそのまま『湯屋番』の演目で演じています。

『演者』
三遊、柳家に関わらず広く演じられています。

『ストーリー』
勘当になった若旦那が知り合いの職人の家で居候になっています。しかし、このままではいけないと湯屋(銭湯)に働きに行くことになり出かけて行きます。
紹介の手紙を見せて働くことになり、運良く番台に座る事が出来ます。
そこで、若旦那は妄想に取り憑かれ、楽しい白日夢を見るのですが、
妄想が過ぎて、番台からオチたり、お客は面白がって顔を軽石でこすってしまったり大変です。
終いにはお客の履物が無いと言う苦情が上がります。
すると、「そこの柾目の通った下駄を履いてお帰りなさい」
「あれは、誰のだい?」「あそこで体を洗ってる方のです」
「どうすんだ?」「順に順に履かして最後は裸足で帰します」

【注目点】
初代圓遊(鼻の圓遊)師が改作したのが「桜風呂」
四代目小さん師が改作したのが「帝国浴場」です。

『能書』
この若旦那の妄想にお客を引きずり込むのが大事なんですが、
最近の若手の中には「それが難しいんですよね」等と言う噺家さんもいます。
だったら、ヤメちまえと思ったりしますねホント、情けないですね。

『ネタ』
現在は勘当は法律上は出来ませんが、江戸時代はちゃんと法に則って勘当と言う制度がありました。
WiKiから引用しますと
親類、五人組、町役人(村役人)が証人となり作成した勘当届書を名主から奉行所(代官所)へ提出し(勘当伺い・旧離・久離)、奉行所の許可が出た後に人別帳から外し(帳外)、勘当帳に記す(帳付け)という手続きをとられ、人別帳から外された者は無宿と呼ばれた。これによって勘当された子からは家督・財産の相続権を剥奪され、また罪を犯した場合でも勘当した親・親族などは連坐から外される事になっていた。
許す時はこれの逆を行う訳ですが、勘当の宣言のみで実際には奉行所への届け出を出さず、戸籍上は親子のままという事もあったという。

正式には旧離(久離)勘当とも呼ばれていました。何かの噺の中でも「旧離切っての勘当で・・・」と言う下りがありましたね。
落語の噺の中で、若旦那がこの旧離勘当になつたのは「船徳」の徳さんだけですね。
後の、この「湯屋番」「紙屑屋」「唐茄子屋政談」は単に勘当の宣言のみですね。
ですから、回りの者が何か真面目に仕事をしていれば、そのウワサが親の耳に入り、勘当が許されるかもしれないと思い、仕事の世話をする訳ですが、「船徳」の徳さんは本当の勘当なので、自分から仕事を見つけるのですね。そうしないと食って行けませんからね。ある意味真剣なんですよね。