b2632bf3-s『なめる』
 今日は敢えてこの噺を取り上げました。季節的には夏では無い気がしますが……。
正直、あの圓生師が演じていて、十八番にも入っている噺なので今日まで残っていますが、後味は余り良くありません。。

『原話』
1691年の「露がはなし」の「疱瘡の養生」から

『演者』
四代目圓生、四代目圓蔵、四代目柳枝、初代三語楼や五代目小勝など錚々たる師匠が演じています。勿論、六代目圓生師も演じていました。落語研究会などでも演じています。、

『ストーリー』
 江戸時代、猿若町に中村座、市村座、河原崎座といういわゆる三座とよばれた芝居小屋が有りました頃のお噺で、、久しぶりに見物しようとやって来たある男。三座とも大入りで、どこも入れません。
 ようやく立見で入れてもらいましたが、何処かで座りたいので、若い衆に相談すると、前の升席に十八、九のきれいなお嬢さんが、二十五、六の年増女を連れて見物してるので、大変な音羽屋びいきなので、あそこで掛け声を掛けると良いかも知れないと教えられて、云われた通りに声を掛けていると、年増女が男に
「あなたは音羽屋びいきのようですが、うちのお嬢さまもそうなので、良かったら自分たちの升で音羽屋をほめてやってほしい」
 と、声をかけられました。願ってもないことと、ずうずうしく入り込み、弁当やお茶までごちそうになって喜んでいると、年増女が
「あなた、おいくつ」と、聞く。
 二十二と答えると、ちょうど良い年回りだ、と思わせぶりなことを言います。聞けば、お嬢さんは体の具合が悪く、目と鼻の先の先の業平の寮で養生中だという。
そこで自然に「お送りいたしましょう」「そう願えれば」
と話がまとまり、芝居がハネた後、期待に胸をふくらませてついていくと、
大店の娘らしく、大きな別宅だが、女中が五人しか付いていないとのことで、ガランと静か。お嬢さんと差し向かいで、酒になります。改めて見ると、その病み疲れた細面は青白く透き通り、ぞっとするような美しさ。
 そのうちお嬢さんがもじもじしながら、お願いがある、と言います。
ここだと思って、お嬢さんのためなら命はいらないと力むと、
「恥ずかしながら、私のお乳の下にあるおできをなめてほしい。
かなえてくだされば苦楽をともにいたします」という、妙な望み。
「苦楽ってえと夫婦に。よろしい。いくつでもなめます。お出しなさい」
 お嬢さんの着物の前をはだけると、紫色に腫れ上がり、膿が出てそれはものすごいものがひとつ。
「これはおできじゃなくて大できだ」
とためらったが、お嬢さんが無理に押しつけたから、否応なくもろになめてしまいました。
 その「見返り」と迫った途端、表でドンドンと戸をたたく音がします。
聞くと、本所表町の酒乱の伯父さんで、すぐ刃物を振り回して暴れるから、急いでお帰りになった方がいいと言うので、しかたなく、その夜は引き上げる事にします。
 翌日友達を連れて、うきうきして寮へ行ってみると、ぴったり閉まって人の気もありません。
隣の煙草屋の親父に尋ねると、笑いながら
「あのお嬢さんのおできが治らないので易者に聞くと、二十二の男になめさせれば治るとのこと。
そこで捜していたが、昨日芝居小屋で馬鹿野郎を生け捕り、色仕掛けでだましてなめさせた。
そいつが調子に乗って泊まっていく、と言うので、女中があたしのところに飛んできたから、
酒乱の伯父さんのふりをして追い出した。今ごろ店では全快祝いだろうが、あのおできの毒をなめたら七日はもたねえてえ話だ」
と言ったから、哀れ、男はウーンと気絶して仕舞います。
「おい、大丈夫か。ほら気付け薬の宝丹だ。なめろ」
「う〜ん、なめるのはもうこりごりだ」

【注目点】
この噺はその昔はおできの箇所が乳の下ではなく、もっと下の足の付け根あたりだったと言う事です。
つまりバレ噺の範疇だったと言う事ですね。

『能書』
宝丹と言うのは今もある、上野の守田治兵衛商店で販売する胃腸薬です。
今は粉薬ですが、昔は練り薬で舐めて使用したそうです。

『ネタ』
 この噺「なめる」は宝丹宣伝の為に創作された落語とも云われています。
又、「転宅」の元にもなったと言う説もあります。
別題を「重ね菊」とも言い、音羽屋(尾上菊五郎)の紋の一つで、同時にソノ方の意味も掛けているとか。
なめる動作では「薬缶なめ」もありますね。