496d271d『富士詣り』
今年はコロナウイルスの影響で富士山は開山されないようなので、せめて噺だけでもと取り上げました。

【原話】
初代圓遊師の速記が「文芸倶楽部」に残っているそうです。7代目可楽師や3代目小圓朝師が受け継ぎました

【ストーリー】
長屋の連中が日ごろの煩悩を清めようというわけで、大家を先達にして、
富士登山に出かけたのは良いのですが、五合目まで来ると全員くたくた。
おまけに、天気までおかしくなってきました。
「これは、一行の中に五戒を犯した者がいるから、山の神さまのお怒りに触れたんだ。一人一人懺悔(ざんげ)をしなくちゃいけねえ」ということになって、
一同、天狗に股裂きにされるのがこわくて、次々と今までの悪事を白状するのですが、
懺悔を始めると、トンデモ無い事が次から次へと・・・・・

【演者】
今は柳家の噺家さんも演じますが、元は三遊亭の噺だったそうです。柳派は「大山詣り」だったのでしょうか?
今は関係なく演じられています。

【注目点】
江戸時代は意外に今と同じシステムが発達していまして、此の様な富士詣りや大山詣りも専門の、今なら、旅行会社みたいな組織があり(いわゆる講といわれる組織)、先達の派遣、宿の手配やもろもろの手続きをしてくれたそうです。多い時は講員は70万人を超えたとか。(大山講の場合)
そこに頼むと、両国の垢離場から世話をしてくれたそうで、初めて山にお参りする方でも心配無かったそうです。
この噺でも、「大山詣り」でも先達さんを大家さんが兼ねているので、それが普通だったのでしょう。
とはいえ、今と違い昔は下から登って行ったのですから大変だったでしょうね。

『能書』
富士登山のシーズンは一般的には7月1日から8月26日と言われていますが、この時期意外にも登っても別に良いそうですが、時期によっては山小屋が閉じらていたり、気候が厳しかったりして大変です。
特に冬の富士山は大変難関な山だそうです。

『ネタ』
富士山の八合目から上は富士山本宮浅間神社のものとなっています。これは明治時代から国と富士山本宮浅間神社が争っており幾度となく裁判になっています。
決着がついたのが1974年4月9日で、最高裁第三小法廷は「いわゆる神体山として信仰の対象とされている山岳などは、宗教活動に必要なものに当たる」と述べ、神社側の主張をほぼ認めた形となりました。
 判決の中で、国側が国有とすべき理由として挙げた「国民感情や、まだ具体的計画がない文化、観光など公共の必要性」はその主張を退けられました。
 しかし、気象庁の山頂観測所など国の必要な土地は除外されていて、これら施設が立ち退く必要はなかったそうです。
 判決確定後、国と神社の間の手続きは長年宙に浮いていましたが、2004年12月になって財務省東海財務局が、神社の所有権を認めた30年前の最高裁判決に基づき、土地を無償譲与する通知書を神社に交付しました。譲与されたのは、富士山8合目以上の土地404万5800平方メートルのうち、富士山特別地域気象観測所(旧富士山測候所)や登山道、山梨県道富士上吉田線などを除く約385万平方メートルだそうです。
 それでも山頂は山梨と静岡県が境界を巡って争っています