『孝行糖』
今日は与太郎噺のこの噺です。
【原話】
明治初期に作られた上方落語の「新作」といわれますが、作者は未詳です。
三代目圓馬師が東京に移植、戦後は三代目金馬師の十八番として知られ、
四代目金馬も演じています。
「本場」の大阪では、一時は演じ手がなかったのですが、最近は結構演じる人が出て来ています。かっては5代目桂文枝師が演じていました。今は桂九雀さんや、youtubeには笑福亭生寿さんが上がっていますね。
【ストーリー】
親孝行が認められてお上から青ざし五貫匁という褒美を頂いた与太郎に長屋の連中は大喜び。
この金を元手に与太郎に商売をさせようということになり、親孝行の功で褒美を頂いたことから「孝行糖」という名で流しの飴屋をやることに。
親孝行の徳、この飴を食べると子どもが親孝行になるというので、孝行糖は大人気。
ある日いつものように文句を唱えながら飴を売り歩いていると大名屋敷前で鳴り物を止めよと咎められる。
しかし、のんきな与太郎は叱りつける侍の言葉にあわせて「ちゃんちきちん、すけてん」などと歌うものだから、捕らえられてしまう。
偶然通りかかった人が門番に事情を説明して与太郎を助け出し、道の端へ与太郎を連れて行きこう言った。
「打ち首にされてもおかしく無いが親孝行の徳でお前は助かったんだ。どれ、何処を殴られたか言ってみろ」
すると与太郎。泣きながら体を指差して
「こぉこぉとぉこぉこぉとぉ(こことここと)」
【演者】
かなりの噺家さんが演じています。個人的には金馬師も良いですが、志ん朝師と柳朝師が好きです。
【注目点】
孝行糖売りは明治初期、大阪にいたという説がありますが、実はその以前、弘化3年(1846)2月ごろにはこの噺の与太郎と同じような格好をした飴売りが居たという情報もあります。
『ネタ』
水戸さまの屋敷前と言うのは今の後楽園の所ですね。
いまでは車が引きも切りませんが、当時は街外れで寂しかったんですね。
『能書』
飴は記紀の時代からあったようですが、今の様に甘く菓子として扱われるようになったのは平安時代だそうです。
今日は与太郎噺のこの噺です。
【原話】
明治初期に作られた上方落語の「新作」といわれますが、作者は未詳です。
三代目圓馬師が東京に移植、戦後は三代目金馬師の十八番として知られ、
四代目金馬も演じています。
「本場」の大阪では、一時は演じ手がなかったのですが、最近は結構演じる人が出て来ています。かっては5代目桂文枝師が演じていました。今は桂九雀さんや、youtubeには笑福亭生寿さんが上がっていますね。
【ストーリー】
親孝行が認められてお上から青ざし五貫匁という褒美を頂いた与太郎に長屋の連中は大喜び。
この金を元手に与太郎に商売をさせようということになり、親孝行の功で褒美を頂いたことから「孝行糖」という名で流しの飴屋をやることに。
親孝行の徳、この飴を食べると子どもが親孝行になるというので、孝行糖は大人気。
ある日いつものように文句を唱えながら飴を売り歩いていると大名屋敷前で鳴り物を止めよと咎められる。
しかし、のんきな与太郎は叱りつける侍の言葉にあわせて「ちゃんちきちん、すけてん」などと歌うものだから、捕らえられてしまう。
偶然通りかかった人が門番に事情を説明して与太郎を助け出し、道の端へ与太郎を連れて行きこう言った。
「打ち首にされてもおかしく無いが親孝行の徳でお前は助かったんだ。どれ、何処を殴られたか言ってみろ」
すると与太郎。泣きながら体を指差して
「こぉこぉとぉこぉこぉとぉ(こことここと)」
【演者】
かなりの噺家さんが演じています。個人的には金馬師も良いですが、志ん朝師と柳朝師が好きです。
【注目点】
孝行糖売りは明治初期、大阪にいたという説がありますが、実はその以前、弘化3年(1846)2月ごろにはこの噺の与太郎と同じような格好をした飴売りが居たという情報もあります。
『ネタ』
水戸さまの屋敷前と言うのは今の後楽園の所ですね。
いまでは車が引きも切りませんが、当時は街外れで寂しかったんですね。
『能書』
飴は記紀の時代からあったようですが、今の様に甘く菓子として扱われるようになったのは平安時代だそうです。
マクラの「売り声」の件はかなり笑えましたね。
「一声と三声は及ばぬ卵売り」とか、「大根売り」「牛蒡売り」「麩売り」「さつま芋売り」「金魚売り」「鰯売り」etc・・・・・。
あのマクラの部分だけ独立させて「物売り」と題して演じるケースもありますね。
私は現・桂才賀師演と二代目・桂枝雀師演で「物売り」を聴いたことがあります。
hajime
がしました