137465806_FztxOmpI_vNGi9wpEKFGhyXfV4xJxXBdC-iQU3o650E『蜆売り』
きょうからまた噺の話に戻ります。そのうちまた戯言を書きますのでその時はまた宜しくお願い致します。そこで冬の噺としてこの噺です。

【原話】
幕末から明治にかけての世話講談の名手で、盗賊ものが得意なところから、異名を泥棒伯円と言った二代目松林(しょうりん)伯円が、鼠小僧次郎吉の伝説をもとに創作した白浪講談の一部を落語化したものです。

【ストーリー】
ご存じ、義賊の鼠小僧次郎吉。表向きの顔は、茅場町の和泉屋次郎吉という魚屋を名乗っています。
ある年の暮れバクチでスッテンテンにむしられて、外に出ると大雪。
なじみの伊豆屋という船宿で、一杯やって冷えた体を温めていると、年のころはやっと十ばかりの男の子が、
汚い手拭いの頬かぶり、ボロボロの印半纏、素足に草鞋ばきで、赤ぎれで真っ赤になった小さな手に笊を持ち、
蜆を売りにやってきました。

誰も買ってやらず、あちこちで邪魔にされているので、次郎吉が全部買ってやり、蜆を川に放してやれと言います。
卵焼きを進めると、母と姉への土産にしたいと言うのを聞いて、代金とは別に五両を渡したが、いらないと言いますので、訳を聞くと・・・
 三年前、新橋芸者だった姉が若旦那と駆け落ちして、箱根でイカサマ碁に引掛り、ある人が助けてくれた。
そこで五十両をもらったが、この金には刻印があり近くの屋敷から盗まれたものだった。
くれた人の名を明かせば放免されるが、恩を仇で返す訳にはいかないから拾ったと嘘をついた為に、若旦那は牢に、姉さんは江戸に帰されて家主預けとなったが、若旦那を心配するあまり、ノイローゼになったとのこと。
 話を聞いて、次郎吉は愕然となります。その金を恵んだ男は自分で、幼い子供が雪の中、しじみを売って歩かなければならないのも、元はと言えばすべて自分のせい。親切心が仇となり、人を不幸に陥れたと聞いては、うっちゃってはおかれねえと、それからすぐに、兇状持ちの素走りの熊を身代わりに、おおそれながらと名乗って出て、若旦那を自由の身にしたという、鼠小僧侠気の一席。


【演者】
この噺は志ん生師が得意にしました。
ほかに上方演出で、大阪から東京に移住した小文治師が音曲入りで演じました。
大阪のやり方は、「親のシジメ(しじみ=死に目)に会いたい」
と地口(=ダジャレ)で落とします。また、小南師は主人公を鼠小僧でなく、市村三五郎という大坂の侠客で演じていました。

【注目点】
実際の次郎吉は、天保3年(1832)旧暦5月8日、浜町の松平宮内少輔さまのお屋敷で「仕事」中、持病の喘息の発作が起きてついに悪運尽き、北町奉行・榊原主計頭さまのお手下に御用となりました。
 両国の回向院に墓があります。何でも博打にご利益が有るとかで、墓石を削っていく人が多いので、最近は削れるようになっているとか?

『ネタ』
と、書きましたが、本当の事を書きます。
回向院の鼠小僧の墓は、むろん本物でなく、供養墓です。
明治9年6月、市川団升なる小芝居の役者が、鼠小僧の狂言が当った御礼に、永代供養料十円を添え、「次郎太夫墳墓」の碑銘で建立したものです。
磔の重罪人は屍骸取捨てが当たり前で、まともな墓など、建てられる訳が無いと言う事ですね。