14511864『西行』
今日はこの噺です。ブログのデザインをまた変えました。コメントや記事の文字を大きくしてみました。

【原話】
遍歴の歌人として名高い西行法師ですが、もとは佐藤兵衛尉憲清という、禁裏警護の北面の武士でした。
本当は春の噺なのかも知れませんが噺の雰囲気が秋ぽいのでね。

【ストーリー】
ある日、殿の内侍が南禅寺にご参詣あそばされた際、菜の花畑に蝶が舞っているのをご覧あって、
「蝶(=丁)なれば二つか四つも舞うべきに一つ舞うとはこれは半なり」
と詠まれたのに対し、憲清が
「一羽にて千鳥といへる名もあれば一つ舞うとも蝶は蝶なり」
と御返歌したてまつったのがきっかけで、絶世の美女、染殿の内侍に恋わずらいをして仕舞います。

身分が違うから、打ち明けることもできず悶々としているうちに、このことが内侍のお耳に達し、
気の毒に思しめして、文をよこしてくれました。
何事ならんと憲清が見ると、夢にまで見た内侍の御文です。
開けて見ると、「この世にては逢はず、あの世にても逢はず、三世過ぎて後、天に花咲き地に実り、
人間絶えし後、西方弥陀の浄土で我を待つべし、あなかしこ」とあります。

これを読んで、さすが憲清さん、たちまちその意味を解きます。
この世にては逢わずというから、今夜は逢われないということ、あの世は明の夜だから明日の晩もダメ。
三世過ぎて後だから四日目の晩、天に花咲きだから、星の出る項。
地に実は、草木も露を含んだ深夜。人間絶えし後は丑三ツ時。
西方浄土は、西の方角にある阿弥陀堂で待っていろということだろう、と解読します。

当日、待っていたのですが、待ちくたびれて、ついウトウトして仕舞います。
そこへ、内侍が現れ
「我なれば鶏鳴くまでも待つべきに思はねばこそまどろみにけり」
と詠んで帰ろうとした途端に憲清、危うく目を覚まし、
「宵は待ち夜中は恨み暁は夢にや見んとしばしまどろむ」
と返したので、で内侍の機嫌が直り、夜明けまで逢瀬を重ねて、翌朝別れる時に憲清が、
「またの逢瀬は」と尋ねると
内侍は「阿漕(あこぎ)であろう」と袖を払ってお帰り。

さあ憲清、阿漕という言葉の意味がどうしてもわからない。
歌道をもって少しは人に知られた自分が、歌の言葉がわからないとは残念至極と、
一念発起して武門を捨て歌の修行に出ようと、その場で髪をおろして西行と改名して出家します。
西行法師、若き日の逸話です。

とここで切る噺家さんが多いのですが、今日はサービスで、最後迄書きます。(^^)

諸国修行の道すがら、伊勢の国で木陰に腰を下ろしていると、向こうから来た馬子が、
「ハイハイドーッ。さんざん前宿で食らやアがって。本当にワレがような阿漕な奴はねえぞ」と言っています。
これを聞いた西行法師、はっと思って馬子にその意味を尋ねると、
「ナニ、この馬でがす。前の宿揚で豆を食らっておきながら、まだ二宿も行かねえのにまた食いたがるだ」
「あ、してみると、二度目の時が阿漕かしらん」


【演者】
三代目圓歌師がよく演じていましたね。後は四代目痴楽師もやっていました。

【注目点】
阿漕とは何でしょう?
調べてみると、伊勢の阿漕ケ浦の事で、今の三重県津市南部の海岸です。
ここは伊勢神宮に供える魚を捕るため、一般には禁漁地でした。
古今六帖の古歌に、「伊勢の海阿漕(あこぎ)が浦にひく網も度重なれば人もこそ知れ」
と言う歌がありそこから、だそうです。

馬子は歌を介して発生した
「アコギ=欲深でしつこい」という語意で、馬を罵っているのですが、
西行法師は、
「二回もさせたげたのに、未練な男ね」と怒ったのかと、即物的な解釈をしたわけ?です。(^^)

ちなみに・・・染殿の内侍は1118年生まれの西行とは200歳ほども「年上」なんですねえ・・・
これこそ落語のウソですねえ(^^)

『ネタ』
出家の動機には友人の急死と失恋と二つあるそうです。