s_002u『そば清 』
立秋が過ぎましたが相変わらず暑いですが、今日からは秋の噺を取り上げます。
 今回は、お蕎麦の食べる枚数を賭けるお噺です。お蕎麦は好きですね。皆さんは如何ですか?

【原話】
1672年の「一休関東咄」の中の「大食いばなしのこと」からです。
ちなみに、上方落語でお餅を食べる「蛇含草」は別な話1716年の「軽口はこの玉」の「牡丹餅が大小」と言うお話からです。
【ストーリー】
蕎麦屋で無駄話をしている江戸っ子連中。蕎麦を食べていた見慣れない男の食いっぷりに感心し、『男が蕎麦を何枚食べられるか』で賭けをすることにしました。
翌日、再びやってきた男に声をかけます。蕎麦の大食いを提案します。
何だかんだと言ってましたが、承諾します。
やってみると、あっと言う間に食べて一分貰って帰ってしまいます。
シャクに障った連中は翌日二分用意すると、男がやってくるのを待ち構えて…。
「今度は二分だ、三十枚」となりなます。
今度も、たわいなく食べて掛金を貰って帰って仕舞います。
呆然としている連中に店の奥で酒を飲んでいた男が声をかける。
「あの人はね、本名を清兵衛さん、通称『そば清』さんという蕎麦の大食いで有名な人なんですよ。何でも、蕎麦の賭けで家を3件も建てたとか…」
このまま引き下がっては江戸っ子の恥。やけになった連中は、執念で一両の金を用意して清兵衛さんを待ち構えて、
「今度は五十枚だ! 勝ったら一両やろう!!」
一両の金には食指が動きましたが、流石に五十枚も食べる自信の無い清兵衛さん。仕事があるからと店を逃げ出し、そのまま信州へ商売に出かけてしまいます。
数ヵ月後、商売を終え、帰ろうとした清兵衛は山中で迷子になります。
途方にくれていると、向こうに狩人がいるのを発見。声をかけようとするが…狩人が何かを狙っているのに気づき、それが終わるまで待つことにします。
気になって向こうを覗いてみると、そこに居たのはなんと大蛇!
固唾を呑んで見守っていると、狩人の一瞬の隙をついて大蛇が狩人を飲んでしまいます。
しかし…流石に丸呑みはきつかったようで、大蛇の腹はボールのように膨らみ七転八倒。
傍に生えていた黄色い草を、長い舌でペロペロ…。
たちまち膨れていた腹が小さくなって、悠々と行って仕舞います。
「へー、あの草は消化の薬になるんだ。これを使えば…」
清兵衛さんはほくそ笑み、その草を摘めるだけ摘んで江戸へ持ち帰ります。
江戸に戻った清兵衛さんが蕎麦屋に行くと、やはり江戸っ子たちが待ち構えています。
この前の勝負、受ける事になり、蕎麦屋には大勢の野次馬がつめかけ、清兵衛の前に大盛りのそばがずらり。
食べだすと、その速いこと、そばの方から清兵衛の口に吸い込まれていくようで、みるみるうちに三十、四十…。
このあたりでさすがの清兵衛さんも苦しくなり、肩で息を始めます。
体に毒だから、もうここらで降参した方が身のためだという忠告をよそに、「少し休憩したいから」と言って廊下に出て、障子をピタリと閉めさせて例の草をペロリペロリ……。
いつまでたっても出て来ないので、おかしいと思って一同が障子を開けると…。
そばが羽織を来て座っていたと言う。

【演者】
 古今亭志ん生師や長男の十代目 金原亭馬生師、それに次男の志ん朝師が良いですね。志ん朝」師が兄馬生師の法事の後に高座に上がり、少しほろ酔いで演じたものも良いですね。
 今でも多くの噺家が演じています。
【注目点】
演者の中には、サゲを言った後に、草の解説をする師匠がいますが、これは無粋です。(草が本当は人間を消化する草だったと言う事)
そのくらいは想像力を発揮して欲しいですね。このコラムを読んでいる方は作家さんばかりなので、その心配は無いですね。
『能書』
蕎麦は、元禄の頃から「蕎麦切り」として食べられ始められたそうです。忠臣蔵の義士が討ち入り前に食べたと言われていますが、うどんではなかったのか? と言う説もあるそうです。
それまでは「蕎麦がき」と言って単に蕎麦粉を熱湯で練って、醤油などを付けて食べていました。
「うわばみ」は大きな蛇の事ですが、日本には青大将以上の大きな蛇はいませんので、南方から来た考えだと言われています。
『健二のネタ』
モデルになった「清兵衛さん」は実在の人物で、天保11年から8年間朝昼晩とも蕎麦を食べ通した江戸の名物男で神田鍛冶町に住んでいたそうです。

 蕎麦は、本当は「コロッケ蕎麦」が落語通が食べる蕎麦なんですね(ネタです!)
 ではまた〜