7916fc279e7206cff787acec1a055cb1 余りにも寒いので、初夏の噺をやれないので、今回も落語に登場する食べ物の噺をします。今回は魚を取り上げてみたいと思います。
 
 落語の噺で一番有名なのが「目黒のさんま」に登場する秋刀魚でしょうね。江戸で売られていた秋刀魚は噺の中でも家来が語っていますが、銚子沖で捕れたものですね。
 それが日本橋の魚河岸に運ばれました。当時は冷蔵技術などありませんので、揚がった秋刀魚に軽く塩を振りかけていたそうです。これが時間が経つと秋刀魚に馴染んで良い味をだしていたそうです。
 ですら、目黒のお百姓さんは品川あたりに野菜を売りに行ったか何処かに納めた帰りに秋刀魚を買って帰ったのでしょう。
 近くには芝浜の魚河岸がありましたが、夕市だったそうですね。研究者の間では昼市もやっていたとの記述もあります。もしかしたら、そこで仕入れたのかも知れません。
 江戸時代は冷蔵の技術がありませんから、鮮度の良い魚を食べられるのは限られた地域でした。刺し身などは貴重で本当に御馳走だったそうです。

 今のような刺し身が食べられるようになったのは醤油の普及があります。醤油の味が魚の生臭さを消したりワサビとの組み合わせで美味しく食べられるようになりました。それまでは「膾」という調理法で食べていたそうです。

「膾」とは生の魚に塩をかけて余分な水分を出した後にお酢に漬けたものです。小肌や鯖も〆て食べますがこれも含まれます。
 幕末にペリーが来航した時に饗応の料理を出した料亭百川の当日の献立を見ると今と違ってやたらに膾の料理が多いです。考えて見ると、かなりの人数分を作ったのでしょうから(一説には1000人とも)生の刺し身だと鮮度の低下の問題もあったのでしょうね。
 ちなみに肝心のアメリカ人には不評だったそうです。

 噺に出て来る魚類を思いつくまま書いて見ると、秋刀魚(目黒の秋刀魚)、鰻(鰻の幇間、鰻屋、素人鰻)、鮑(鮑のし)ふぐ(らくだ)、小肌(小肌小平次)、鮪(居残り佐平次、葱間の殿様)、鯉(唖の釣り、その他)等いろいろありますね。「らくだ」に出てくるふぐですが当時は味噌汁などにして食べるのが普通だったそうです。刺し身で食べたら生で食べる危険と中毒の危険が伴いますからね。
 今日はこのへんで。暖かくなれば噺の話に戻ります。