h1de0195『包丁』
 季節的にはどうかと思いますが年末の噺まで、未だ間があるので取り上げました。

【原話】
上方落語「包丁間男」を明治期に東京に移したもので、移植者は三代目円馬師とされます。
ただ、明治31年11月の四代目左楽師の速記が残っていて、この年円馬師はまだ16歳なので、この説は?です。
左楽師は「出刃包丁」の題で演じていますが、明治期までは東京での演題は「えびっちゃま」と言ったそうです。

【ストーリー】
 寅さんは久治と呼ばれる兄貴に呼ばれます、弟分の寅さんは兄貴には頭が上がりません。
兄貴は清元の師匠をしている”おあき”さんに面倒をみてもらっているのです。
鰻をご馳走してもらって、ノロケを聞くと、儲けさすという。
 兄貴は清元の師匠も良いが、他に若い女が出来たので、芝居を打ってほしいと言います。
「俺の家に行って、兄貴が帰ってくるまで待たして欲しいと言って、上がり込む。酒は出すような女でないから、お土産だと言って1本下げていって、湯飲みを借りて飲み始め、ツマミは出さないだろうから、鼠入らずの右側の上から2段目に佃煮が入っているからそれで飲ってくれ。香こが台所のあげ板の3枚目を開けるとヌカ漬けのキウリが入っているから、それで飲んでくれ」、
「初めて行った家で香こを出すのはおかしくないか」、
「そんなことは気にしないで、3杯ぐらい飲んだら女の袖を引いてその気にさせたところで、俺が出刃包丁を持ってガラッと入っていく。啖呵を切って畳に出刃包丁をさしている間に、お前はズラかってしまい、その後に女を地方に売り飛ばしてしまう。その金を二人で山分けにする。どうだ!」
などと大変な相談です。
 その足で、兄貴の家に乗り込み、当然いないので上がって待つことになりました。
お茶を入れるからと言うので、持参の酒の封を切り、肴がないと言うので鼠入らずから佃煮を出しました。
「旨いね。鮒佐の佃煮は、やはり兄貴は口がおごっている」
師匠に勧めたが、取り付くしまがありません。
漬物を所望したが頭から断られたので自分で出し、師匠はビックリしていたが、刻んでまた飲み始めました。
 歌を唄いながら、師匠に手を伸ばすが、身持ちの堅い師匠にピシャリと叩かれたが、それに懲りずに手を出したらドスンと芯まで響くほど叩かれました。
「ヤナ男だよ。酒を飲んでいるから我慢をしてたら、つけあがって。ダボハゼみたいな顔をして女を口説く面か」
寅さんも切れて、一部始終の経緯をぶちまけてしまった。「佃煮や香この場所が分かるのは教わって来たからだ」
 師匠は事情が飲み込めたので、「あいつが来たら追い出すから、アンタも加勢してください。女の口から言うのもなんですが、嫌でなかったら私と一緒になって下さい」
「そんなこと言ったってダメだよ、さっきダボハゼって言ったじゃないか」
「それは事情が分からなかったからで、あいつの為に上から下まで揃えてやって、世話もしたのに売り払うなんて、そんな男に愛想が尽きた」
「そ〜ですとも。だいたいあいつは良くない」
 「新しい着物を作ってあるから着替えてください。お酒もあるし。お刺身も出しますから」
気持ちよく飲んでいるとこに、久治が覗きに来て「あいつはお芝居がうめ〜や。あんな堅い女に酌をさせて」
 ガラッと開けて、「やいやい。亭主の面に泥を塗りやがって」、「だめだダメだ。ネタは割れているんだから」
おあきさんはさんざん久治に毒付いて追い出してしまいます。
 二人で飲み始めたが、格子をガラッと開けて、また久治が戻ってきた。
「出刃包丁を出せ!」。
「誰かに知恵でも付けられて来たのか。お前が悪巧みするから話がひっくり返ってしまったんだ。いいから、包丁出してやれ。久治、四つにでも切ろうと言うのか」。
「いや、魚屋に返しに行くんだ」

【演者】
戦後では六代目円生師、五代目志ん生師の二名人が得意としました。
と書きましたが、志ん生師の音源は無いそうです。
聴いてみたいですね。

【注目点】
本来は音曲噺で、噺の中で唄が入ります。常さんが良い気持ちになって歌う処ですね。
私なんかはこの噺を聴くと、「駒長」と似てるなぁと感じてしまいます。

『能書』
志ん生師の噺は十代目馬生師に受け継がれました。

『ネタ』
立川談志師ですが、昭和49年の第六十七回「ひとり会」では、「包丁」のネタ出しをしておきながら、自身納得のいく仕上がりにならなかったため、「本物の『包丁』をお聞かせします」と言って、六代目圓生師に演じてもらったという伝説があります。
その後自分でもCDに残しています。
弟子では談春さんが受け継いでいます。

追伸……四代目三遊亭小圓朝師がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り致します。 49歳は若いですね……。