a690f138『火焔太鼓』
少し間が空いてしまいまいした。申し訳ありません。で、今日はこの噺。これが秋の噺かというと少し疑問ですが、とりあえず取り上げます。

【原話】
江戸時代から伝わる小さな噺を、明治末期に初代遊三師が少し膨らませて演じていたそうです。
この高座を修行時代に楽屋で聴き覚えた志ん生師が、後に独自のくすぐりを入れるなどして志ん生師の創作といってもよい程に仕立て直し、現在の形としました。

【ストーリー】
女房に叱られてばかりの道具屋の甚兵衛さん。
今日行ってきた市では、時代物の太鼓を買ってきたといって自慢をしている。
ところが、それを聞いてあきれる女房。一見しても分かるような埃だらけで汚い太鼓なんぞ売れる訳がないと、亭主の商売下手についてあれこれ言い始める。
 それに懲りない甚兵衛さんは、少しでも太鼓を綺麗に見せたいからと、小僧に埃をはたかせていると、太鼓の音が鳴り、その音を聞きつけた殿様の命を受けた供の者が店を訪れる。
太鼓を見せるために殿様の屋敷を訪ねる甚兵衛さん。こんな汚い太鼓を買ってくれるはずがないと思っていたら、何と300両で買い上げてくれるという。
その訳を聞いてみると、持参したのは「火焔太鼓」という高価な品物だという。早速、金子を受け取り、家に帰り、早速女房に50両ずつたたきつけて溜飲を下げる。おかみさん、仰天して危うく気絶しそうになる。
 味をしめた甚兵衛さんが、音がするものだから良かった、次は景気よく半鐘を仕入れようとおかみさんに言うと、おかみさんそれを押しとどめ、
「半鐘? いけないよ、おジャンになるから」

【演者】
やはり志ん生師ですが、志ん朝師も良かったですね。十代目文治師や八代目圓蔵師得意にしていました。今でも多くの噺家さんが演じます。

【注目点】
志ん生師は、お正月等に演じる時は「オジャン」では縁起が良くないと、「どんどん儲かる」とサゲていました。

『能書』
この噺のもう一つの眼目はこの夫婦の会話の味ですね。
ここに重点を置いて噺を構成する噺家さんもいます。(先代柳朝師や現権太楼師)
志ん生師の晩年の録音ではやはりここに重点を置いていました。なんだか志ん生師夫婦の会話を思わせる描写もありましたね。
 噺の中で、甚平衛さんが切り餅を五十両ずつ出すのは、武士からお金を受け取ってきたからですね。
商人だとまた、違ってきます。
そんな処も芸の細かさ確かさですね。

『ネタ』
 火焔太鼓とは雅楽で使われる大太鼓の一つで、火焔形の装飾があります。
直径180cm位の大きさなので本来はとても持てるものではありません。
 馬生師は噺で、大八車でお屋敷に運んだがのですが、志ん生師は
「それだから噺が下手なんだ。実際の大きさなんてどうでも良いんだ」
と言ったそうです。実証すると馬生が正しいのですが、噺のおもしろさから言うと、志ん生の解釈なのでしょう。そして落語の世界ではそんな火焔太鼓もあったという事なんですね。