src_14078016『真田小僧』
今日はこの噺です。何回か取り上げていると思いましたが、やってないみたいなので取り上げます。
芋も出て来るので秋の噺としました。
【原話】
講釈の「難波戦記」から出来た上方落語「六文銭」です。それを三代目柳家小さん師が東京に移したものと言われています。噺そのものは東西ともほぼ同じです。

【ストーリー】
親をへこましてばかりの金坊。父親に小遣いをせびり、
駄目だと言われると、おとっつぁんの留守に家に男の人がやって来て、母親が喜んで家に上げていた。と言ったので父親はついつい気になり、
話がとぎれる度に、もう一銭、もう一銭と追加を取られ、最後はいつも来る横丁の按摩さんだった」と言って、外へ駆け出して行ってしまった。
子供が逃げていってしまうと、
夫婦で、末恐ろしい餓鬼だ、今に盗賊になるかも知れないと、嘆くことしきり。

最近寄席ではここで切ることが多いです。その節には母親が金坊と父親のやり取りを聞きたがるので
「そんなに聴きてえか? ならお前も一銭出せ」
 と落とす事が多いです。本来はその後があり、

 それに引き換え、あの真田幸村公は、栴檀は双葉より芳し、十四歳の時、父真幸に付いて、天目山の戦いに初陣した折りに、敵に囲まれて真幸が敗北の覚悟をした時、倅の幸村が、自分に策がありますと申し出て、敵の松田尾張守の旗印である永楽通宝の六連銭の旗を立てて、敵陣に夜襲をかけ、混乱させて同士討ちを誘い、見事に勝利を納めたという。それ以来、真田の定紋は二ツ雁から六連銭になった
 という故事を父親が母親に話し、あいつは幸村どころか、石川五右衛門になるかも知れない。と言っているところに帰って来た。
いつの間にか聴いていて、
「おとっつぁん、六連銭ってどんな紋?」
「いいか、こういうふうに二列に並んでいるんだ」
「どういう風に二列なの」
 いくら言っても判らないので本物のお金を出して説明すると
「あたいにもちょっと貸して。なるほど」
 そう言って銭を数えるふりをして、お金を取って逃げていく。
「あっ、またやりあがった。おい、それを持ってどこへ行くんだ。寄席でも行くのか」
「今度は焼き芋を買ってくるだい!」
「ああ、いけねえ うちの真田も薩摩へ落ちた」

【演者】
やはり三代目金馬師や六代目圓生師ですかねえ。もちろん志ん生師を始め色々な噺家さんが演じています。個人的には志ん朝師が良かったですね。
今でも寄席や落語会で多く演じられています。

【注目点】
今、寄席などで演じられている途中で切るやり方では、何故「真田小僧」なのか判りません。たまにはちゃんと最後まで聴きたいですね。

『能書』
真田三代記は元禄時代の歴史小説で、これや難波戦記を元にして「真田十勇士」が生まれました。
六連銭(ろくれんせん)は、家紋の一つで六枚の銭を図案化したもの。真田家の家紋として知られる。六文銭とも言います。圓生師は「りくれんせん」と言っていましたね。

『ネタ』
噺家の符牒で「六」のことを「さなだ」というのは真田家の家紋の六文銭からだと言われています。