17512f2c『首ったけ』
今日はこの噺です。

【原話】
四代目三遊亭円生師の(1904年没)作といわれています。古い速記では、大正3(1914)年の四代目円蔵師のものがあります。
 他の説では1782年の「富久喜多留」の「逃げそこない」とも言われています。

【ストーリー】
 辰つぁんの相方の紅梅花魁が、回しを取られて、何処かのお大尽と、どんちゃん騒ぎをしています。
若い衆を呼んで騒がしくて寝られないから帰ると文句を付けます。
敵娼(あいかた)の紅梅花魁がなだめに入ったが、売り言葉に買い言葉、見世を飛び出してしまいました。
大引け後だったので、真っ暗で帰るに帰れません。向かいの見世に明かりが見えたので頼むと、明日、よりが戻って向かいに帰られると立場がないと言われて仕舞います。
二度と行かないからとの約束で上がると、敵娼(あいかた)の若柳花魁は前から辰つぁんの事を気にかけていたからと、充分の接待をして帰した。毎晩のように通うようになったが、行けない日がありました。
今晩は行こうと思っていると、昼頃、吉原か火事が出ました。若柳花魁を助けようと思って飛んで行ったのですが。
表からは人だかりで入れないので、裏のお歯黒ドブに回ります。花魁達は化粧気もなく慌てて走って来るが、煙に巻かれて右往左往している始末。
そこに数人の花魁が駆けて来たのですが、跳ね橋から一人が落っこちて、真っ黒く汚いお歯黒ドブにはまって仕舞います。
直ぐに脇の下まで潜ってしまいもう大変。
「助けてよ〜!!」と金切り声を上げた。みんなで助けてやれ、と手を出すと、何とそれは喧嘩別れをした、紅梅花魁でした。
「夜中俺をおっぽり出したやつなんか助けねぇ」
「辰つぁん! 早く助けておくれよ。もう首まで来たからさぁ」
「そんな薄情なやつは助けねぇ」
「そんな事言わないで! もう、首ったけなんだから」

【演者】
戦後はこれはもう、二代目円歌師がたまに演じたほかは、志ん生師の、ほぼ一手専売でした。
どうも、志ん生師、円歌師とも、初代小せん師(盲の)の直伝だと言われています。
志ん生師の後は、馬生師、志ん朝師が受けぎました。
いまでは、寄席では余り高座に掛かりませんが、落語会等ではたまに演目に見られます。

【注目点】
この噺のマクラに使われるのが「蛙の遊び」という小咄で、蛙が揃って遊びに来て、女郎を品定めするのですが、そっくり帰って立ってる為に目が後ろになっており、向かいの見世の女郎を品定めしていたというオチです。

『能書』
旧吉原遊郭は、明暦の大火(1657)によって全焼してしまいます。
丁度その頃移転の計画があったので、日本橋から浅草日本堤に移転しますが、その後も明治維新までに平均十年ごとに火事に見舞われ、その都度ほとんど全焼しましたそうです。
昔は何より(今でもですが)火事が怖かったので、逃げるのには必死になりますね。
明治以後は、明治44(1911)年の大火が有名で、六千五百戸が消失し、移転論が出たほどです。
火事の際は、その都度、仮設営業が許可されましたが、仮設というと不思議に繁盛したので、廓主連はむしろ火事を大歓迎したとか。


『ネタ』
正直、「首ったけ」と言う表現はもう死語になったかと思っていたのですが、
最近のアニメ等にも使われていて、死語じゃ無かったと思い直しました。(^^)