dd6a442b『寝床』
この噺が秋の噺と確定した訳ではありませんが、旦那が人を集めて下手な義太夫を披露するのは秋が相応しい気がしますので一応秋の噺としました。

【原話】
原話は、安永4年(1775年)に出版された笑話本・「和漢咄会」の一遍である「日待」で、元々は「寝床浄瑠璃」という上方落語の演目で、明治中期に東京へ移されました。
なんと言っても文楽師の十八番でしたが、他の演目と違って、志ん生師や圓生師等他の噺家さんも演じていました。

【ストーリー】
ある大家の旦那、大の義太夫好きで、すぐ他人に語りたがるが、あまりにも下手なので、長屋の店子たちは誰も聞きに来ない。
だったら、せめてご馳走をして、ご機嫌をとろうと色々と準備をしてから店員の繁蔵を呼びに行かせたがやはり駄目。
提灯屋は開店祝いの提灯を山のように発注されてんてこ舞い、金物屋は無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、小間物屋は女房が臨月なため辞退、鳶の頭は成田山へお詣りの約束、豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しと全員断られてしまった。
ならば、と店の使用人たちに聞かせようとするが、全員仮病を使って聴こうとしない。

頭に来た旦那は、長屋は全員店立て(たたき出す事)、店の者は全員クビだと言って不貞寝してしまう。
それでは困る長屋の一同、観念して義太夫を聴こうと決意し、一同におだてられ、ご機嫌を直して再び語ることにした旦那は準備にかかる。
その様子を見ながら一同、旦那の義太夫で奇病(その名も「義太熱」、「ギダローゼ」)にかかったご隠居の話などをして、酔っ払えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。

やがて始まった旦那の義太夫をよそに、酒が回った長屋の一同、全員居眠りを始めてしまう。
我に返って気づいた旦那は激怒するが、何故か丁稚の定吉だけが泣いているのを見て機嫌を直した。
何処に感動したのかと、語った演目を片っ端から質問してみるが、定吉の返事は「そうじゃありません」というばかり。
「そんなとこじゃない、あそこでござんす」
「あれは、あたしが義太夫を語った床じゃないか」
「あそこがあたしの寝床なんです」

【演者】
もう有名なのは八代目文楽師ですね。でも志ん生師や圓生師、更には可楽師も演じていました。
個人的に好きだったのは先代柳朝師のですね。勿論、今でも多くの噺家さんが演じています。

【注目点】
志ん生師のバージョンでは、噺の展開がもっと凄く、先の番頭さんはドイツへ逃げちゃうし、かなりシュール
なオチとなっています。

『能書』
昔の奉公人には,個人の部屋はありえず,みな大部屋で暮らしていました.
この大部屋で、義太夫をしているので、定吉は自分の寝る場所が無かったという訳ですね。

『ネタ』
この噺の長屋は通りに面した表長屋で、おそらく二階建で、義太夫を演じてる旦那は、居附(いつ)き地主といって、地主と大家を兼ねてると思います。
表長屋は、店子は鳶頭など、比較的富裕な人々なのですが、単なる賃貸関係でなく、店に出入りして旦那から色々と仕事をもらっている者が殆どなので、とても逆う訳には行きません。それに江戸時代は、引越しして新しい長屋を借りるにも、元の家主の身元保証が必要な仕組みなので、どうしても旦那の下手な義太夫に命がけで耐えなければならなかった訳です。