90a71ea3『紀州』
八代将軍吉宗が将軍に即位したのが享保元年(1716年)8月13日なので、もう立秋を過ぎている(しかも旧暦)なので秋の噺とします。

【原話】
原話は、松浦静山が文政4年(1821年)に出版した随筆・『甲子夜話』の「第十七巻」に収められています

【ストーリー】
七代将軍家継が幼くして急死し、急遽、次代の将軍を決めなければならなくなりました。
候補は尾州侯と紀州侯。
どちらを推す勢力も譲らず、幕閣の評定は紛糾。

ある朝、尾州侯が駕籠で登城する途中、遠くから鍛冶屋が「トンテンカン、トンテンカン」と槌を打つ音がします。
それが尾州侯の耳には「テンカトル、テンカトル」と聞こえました。

これは瑞兆であるとすっかりうれしくなったが、最後の大評定の席では、大人物であることをアピールしようと、
「余は徳薄く、そのの任に非ず」と辞退してみせます。
むろん、二度目に乞われれば、「しかしながらァ、かほどまでに乞われて固持するのは、
御三家の身として責任上心苦しい。しからば天下万民のため……」ともったいぶって受ける算段でしたが・・・

ライバルの紀州侯は、同じように「余は徳薄くして……」と断ったまではよかったのですが、
その後すぐに「しかしながらァ」ときたので尾州侯は仰天します。

「かほどまでに乞われて固持するのは、御三家の身として責任上心苦しい。しからば天下万人のため」
と、自分が言うつもりのセリフを最初から言われてしまい、あえなくその場で次期将軍は紀州侯に決まってしまいました。

野望がついえてがっかりした尾州侯、帰りに同じ所を通りかかると、また鍛冶屋が「テンカトル、テンカトル」
「おかしいなぁ」と考えていると、
親方が焼けた鉄に水をさして、「キシュー」

【演者】
これは色々な噺家さんが演じています。最近で感心したのは小朝師でした。若い頃のやり方とは違っていて、噺の合間に色々な史実を挟んで楽しませてくれました。

【注目点】
鍛冶屋のシーンでは親方の左側で焼いています。真ん中にふいごがあり水は右側なので、水に突っ込むシーンでは扇子を右手に持ち替えるのが本当だとか。

『能書』
この尾張候は、尾張藩第六代・徳川継友です。
八代将軍吉宗となった紀州公への怨念?は息子の代まで尾を引きます。
継友が享保15年(1730)に憤死した後、嗣子の宗春は吉宗の享保改革による倹約令を
無視して、藩内に遊郭の設置、芝居小屋の常時上演許可など、やりたい放題やったため、
ついに逆鱗に触れて、元文4年(1739)、隠居謹慎を命じられました。
これは有名な話しですね。

『ネタ』
実際は七代将軍家継の遺言によって決められたそうです。
落語は如何にもという感じが良いですね。