ct2_ra3_s7『大山詣り』
 期間は短いのですが珍しく仕事が繁盛期に入っていまして更新が出来ません。うっかりしてると六月の噺も出来ないので、何とか更新してみました。コメントの返事が遅れるかも知れません。その場合は申し訳ありません。「大山詣り」と言いますと六月ですねえ。落語国では勿論夏の噺となっております 。
 そもそも江戸っ子が寺社にお参りするのは、信仰もありましたが、結局は娯楽も兼ねていたみたいですね。
 何の娯楽かって? 文字とおり色っぽい娯楽から観光まで含めてですが……。
 江戸期も下ると、こうした団体旅行は完全に観光化されてまして、ちゃんと組織化されてます。今の観光会社みたいなもんですね。先達さんの手配もしてくれるんです。もちろん宿の手配もですね。今と余り変わらない、違うのは歩いて行く事ですね。これはしょうがないですね。

【原話】
1805年の十返舎一九の「滑稽しつこなし」からという説もあります。

【ストーリー】
長屋でも大山詣りに行くことになったのですが、熊さんは残って後の長屋を守る役になってくれなんて言われてしまう。文句を言うと、本当はしょっちゅう喧嘩をするから残らせようとの魂胆。今回は喧嘩をしたものは二分の罰金を払ったあげく、坊主にしちゃおうということになりまして。熊さん、俺は大丈夫だと見栄を切ります。

無事お詣りが済んで、明日には江戸に戻るという晩、気が緩んだのかやっぱり喧嘩しちゃった。それで熊さんは決まり通り坊主にされてしまう。翌朝熊さんが起きてみると既に皆は経った後。宿の人にくすくす笑われて本当に坊主にされたことに気付きます。
やられた熊さん、一計を案じ、一足先に江戸に戻ります。長屋のおかみさん連中を集めて、途中金沢八景見物に舟に乗ったときに舟が転覆して、皆亡くなってしまったと嘘をつく。供養のために坊主にしたというから皆信じちゃって、おかみさん達も供養に尼になります。
そこで男衆が帰ってきて、さあ大変。
一方、亭主連中。帰ってみるとなにやら青々として冬瓜舟が着いたよう。おまけに念仏まで聞こえる。これが、熊の仕返しと知ってみんな怒り心頭。
連中が息巻くのを、先達さんの吉兵衛、
「まあまあ。お山は晴天、みんな無事で、お毛が(怪我)なくっておめでたい」

【演者】
 色々な噺家さんが演じていますが、現役では柳家小三治師でしょうねえ。歴代だと八代目三笑亭可楽師や勿論古今亭志ん生師が良いですね。色々な噺家さんが演じていますので聴いてみてください。

【注目点】
大山は、神奈川県伊勢原市、秦野市、厚木市の境にある標高1246mの山で、中腹に名僧良弁が造ったといわれる雨降山大山寺がありました。
山頂には、石尊大権現があります。つまり、修験道の聖地なんですね。
その昔、薬事法が緩かった頃はここでオデキに効く薬が売っていましたが、今は禁止され無くなりました。個人的にですが、子供の頃は随分お世話になりました。ほんと良く効きました!

『能書』
上方には「百人坊主」と言う伊勢神宮にお詣りに行く噺がありますが、これが江戸に流れて来たと言う節と、滝亭鯉丈の作品で文政四年(西暦1821年頃)に出版された「大山道中栗毛俊足」に似たパターンの噺があり、これが東西で別々に発展したものではないかと言う説もあります。

『ネタ』
サゲに関してですが、当時は髷を何より大事にしていて、文字通り命の次に大事なものだった様です。
今でも女性は髪を大事にしますが、昔はその比じゃ無かったそうです。
これが無くなると言うのは本当にショックで辛いことだったのでしょう。
髷がなければ実社会から脱落することを意味していたとかね。アウトサイドに落ちて行くと言う事でしょうかね。
又、失敗や軽い犯罪をしても頭を丸めれば、許されたそうです。