a0663894『粗忽長屋』
 今日は「粗忽長屋」です。

【原話】
寛政年間(1789〜1800)の笑話本『絵本噺山科』にある小咄です。
 
【ストーリー】 
 粗忽者の八五郎が浅草寺の門前で人だかりに出くわします。
聞けば、行き倒れの亡骸が発見されたが身元がわからず困っていると言うのです。
むりやり人垣をわけ、亡骸を見た八五郎は仰天。
「こいつは熊だ。あいつに教えなくちゃならねえ」
八五郎は長屋の隣人、熊五郎が死んだと思いこみ「本人を呼んでくる」と長屋へ飛んでいきます。
実は、熊五郎も粗忽者なので、「おれは死んだ気がしねえ」などと言いながら、八五郎と一緒に浅草寺へ向かいます。
「死人」の熊五郎を連れて戻ってきた八五郎に、周囲の人達はすっかり呆れてしまいます。
どの様に説明しても2人の誤解は解消できないので、世話役はじめ一同頭を抱えこんで仕舞います。
あげくに、熊五郎はその死人の顔を見て、悩んだ挙句、「間違い無く自分である」と確認する始末です。
「自分の体」を腕で抱いてほろほろと涙を流す熊五郎と見守る八五郎。2人とも本気なのです。
周囲の人の止めるのも聞かずに。体を持って帰ろうとする始末。
抱き抱えて居ると、熊五郎は八五郎に訪ねます。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」

【演者】
 個人的には五代目古今亭志ん生師と五代目柳家小さん師が双璧ですね。現役では人間国宝の柳家小三治師、そして落語協会会長の柳亭一馬師がよいですね。元々が滑稽噺ですので、柳家の噺家さんが良く演じています。

【注目点】
 お噺そのものが、自分の死骸を引き取りに行く噺なので、お客に「そんな馬鹿な事」と思わせないように演じなければなりません。その意味で、兄貴分の男がやたらに「お前は死んでる」とか「死ぬ」と言うセリフを喋らせてはイケマセン。白けてしまいますからね。兎に角お客を正気に返さぬ様にトントンとサゲまで運んで欲しいです。

『能書』
 もう一人の自分が存在するというのは、ドッペルゲンガーですね。これは精神分裂病に分類されています。(二重身)

『ネタ』
 行き倒れが担ぎこまれた、「自身番」」とは、町内に必ず一つはあり、防犯・防火に協力する事務所です。昼間は普通、町役(おもに地主)の代理である差配(大家)が交代で詰め、表通りに地借りの商家から出す店番(たなばん)1名、事務や雑務いっさいの責任者で、町費で雇う書役(しょやく)1名と、都合3名で切り盛りしたそうです。
 行き倒れの死骸の処理は、原則として自身番の役目なので、身元引受人が名乗り出れば
確認のうえ引き渡し、そうでなければお上に報告後回向院などの無縁墓地に投げ込みで葬る義務がありました。
 その場合の費用、死骸の運搬費その他は、すべて町の負担でしたので、自身番にすれば、かえって引き取ってくれたのは、渡りに船だったかも知れないと思います。