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『長屋の花見』

【原話】
元々は上方落語の演目で「貧乏花見」です。それを明治37年ごろ、三代目蝶花楼馬楽師が東京に移し、明治38年3月の、日本橋常磐木倶楽部での第一次の第四回落語研究会に、二つ目ながら「隅田の花見」と題したこの噺を演じました。
これが事実上の東京初演で、大好評を博し、以後、この馬楽の型で多くの演者が手掛けるようになりました。

【ストーリー】
雨戸まで外して焚き付けにするという貧乏長屋の店子連中に大家さんからの呼び出しがかかります。
すわ、店賃の催促かと思いのほか「そうじゃあない。花も見頃、今日は貧乏を追い出すために皆で花見に行こう」と大家さん。

酒も肴も用意したというので、店子連中は「花見だ花見だ」「夜逃げだ夜逃げだ」などといいながら上野の山へ向かいます。
満開の桜がならぶ上野の山。店子連中は、毛氈とは名ばかりのむしろを敷いて、物乞いの真似をしようとしたり、ほかの花見客が落とした食べ物を拾おうとしたりの大騒ぎ。
そのうちに、大家さんが用意した酒と肴で宴がはじまるが、じつはこれ本物ではありません。
お酒は番茶を水で割ったもの。かまぼこは大根の漬け物で、卵焼きは沢庵という始末。
「かまぼこ」を薦められた店子は「ちかごろ歯が弱くなったから食べづらい」とこぼしたり、「卵焼き」を食べようとする店子は「尻尾じゃないところをくれ」などと言い出す始末。
薄い番茶を「灘の酒」に見立てて飲み出すが、アルコール成分がないから酔おうにも酔えません。
そのうちに「灘の酒」を飲んでいた一人が、変なことを言い出します。
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるかい?」
「酒柱が立ちました」

【演者】
柳家を初め多くの噺家さんが演じています。寄席でも時期になりますと必ず掛かる噺です。

【注目点】
上方のものは、筋はほぼ同じですが、大家のお声がかりでなく、長屋の有志が自主的に花見に出かけるところが、
江戸と違うところですし、持っていくごちそう?や酒?も自らが誂えて持って行きます。
この辺に江戸と上方の考えの違いが現れていると思います。

『能書』
どの演者でも、「長屋中歯を食いしばる花見かな」の珍句は入れますが、これは馬楽師が考案したくすぐりです。
馬楽--四代目小さん--五代目小さんと受け継がれていった噺です。
今でも柳家始め多くの噺家さんが演じています。

『健二のネタ』
この噺の問題点は舞台を上野としている処ですね。
江戸時代は上野の山は寛永寺の敷地内だったので、花見と言っても飲食や歌舞音曲は禁止です。(どうも座って花を眺めるぐらいは許されていたそうです)
完全に許されたのは明治からですので、明治期とするかですが、この辺りは、余りうるさく言わないで、噺を楽しんだ方が良いですね。
昔のお客は、飲食や歌舞音曲が許されていた向島や飛鳥山じゃ臨場感に乏しいと感じたのでしょうね。

「考察」
このほか、上方のサゲを踏襲して、長屋の一同がほかの花見客のドンチャン騒ぎを馴れ合い喧嘩で妨害し、向こうの取り巻きの幇間が酒樽片手になぐり込んできたのを逆に脅し、幇間がビビって
「ちょっと踊らしてもらおうと」
「うそォつけ。その酒樽はなんだ?」
「酒のお代わりを持ってきました」
とサゲる噺家さんもいます。

「私見」
今現在東京で演じられている古典落語のかなりの数が上方から輸入されたものだとは皆さんも御存知だと思います。
場所などを変えてほとんど同じにした噺もあれば、かなり変えている噺もあります。
この噺もかなり変えている訳でして、その違いが東西の笑いの考えの違いになっていると思います。
あくまで個人的にですが、総じて上方落語は理論的だと言う事です。言い換えると理屈っぽい感じがします。
つまり、設定に曖昧な所が余り無く、噺の筋が理論立っている事です。この噺の場合も長屋の連中から自発的に花見に向かいます。だから持って行く物(大根や沢庵、お茶け)にリアリテイがあります。
一方江戸では、そこら辺は余り重要視されません。この噺でも大家さんから花見に誘います。理由も何となく曖昧です。だから大家さんなのにお酒も用意できないのはちょっと疑問でもあるのですが、そこら辺は江戸では重要視されないのです。あくまでも花見に行った先での行動に視点が移っています。
 この噺を聴きながら東西の文化の違いも見えるのが面白いですね。