62bd8804398d8709366689cc931c0106今日は三遊亭圓彌師のことを……。

優しい口調ながらも本寸法で、三遊亭の噺を受け継いでいました。
また鳴り物も得意で、圓生師の「圓生百席」ではお囃子として参加しています。

「三遊亭圓彌」
1936年7月20日 – 2006年4月29日

「出囃子」
最初は、『四季の寿』でしたが、師匠没後師匠の出囃子であった『正札附』を使いました。
このことから見ても自身でも三遊亭の正当な後継者自負していたと思います。

「経歴」

1958年10月、8代目春風亭柳枝に入門。「枝吉」
1959年 師匠没後 六代目圓生一門に移籍 「舌生」
1961年9月、二つ目昇進し「円弥」
1972年9月、真打昇進。「圓彌」
2006年4月29日、肝臓癌のため都内の病院で死去。享年69。

若いころにはNHKの落語番組で「幻の噺家」と自らキャッチフレーズを言っていました。
また踊りの「藤間流」の名取でもありました。噺家さんはほとんど、踊りや唄(小唄等)の稽古をしています。それは古典落語にはその要素が沢山入っているからです。また、歌舞伎とは切っても切れない関係なので、歌舞伎座等では噺家さんが良く来ています。逆に落語の会などでは歌舞伎の俳優さんも見に来るそうです。

長い間空席となっている春風亭柳枝の名前ですが、生前に圓彌師が襲名する話がありました。
でも色々なことがクリア出来ず結局襲名は出来ませんでした。
恐らく、それから三遊亭の後継者に傾いたのだと思います。

本当に古典を語る為に生まれたような噺家さんでした。口調が良いので安心して聴いていられました。
古典落語に対する造詣が深いのにも係わらず、寄席等ではそれをひらけかす事もありませんでした。でも聴いていればそれが良く判る高座でした。
姿形も綺麗で、その意味でも本当に素晴らしい噺家さんでした。

亡くなる寸前まで寄席に出ていたと思います。その点でも素晴らしかったですね。