小圓遊「三遊亭小圓遊」
今回は小圓遊師です。四代目三遊亭圓遊師の弟子で、本格派の古典を演じていました。粋な芸風でした。本格派なのに軽い感じが本当に良くて粋な噺家さんでした。
最も、有名になったのはテレビ番組の「笑点」の大喜利のメンバーになってからです。
大喜利では桂歌丸師とバトルを繰り広げました。歌丸師が小圓遊師を「バケモノ」と呼べば小圓遊師が歌丸師を「ハゲ」と罵っていました。
このやり取りが評判を呼んで「笑点」は一躍人気番組となって現在に至ります。

「出囃子」
『二上がり鞨鼓(にあがりかっこ)』
柳家小三治師と同じですね。

「経歴」

1955年(昭和30年)、都立文京高校を中退し、4代目三遊亭圓遊に入門。前座名「金遊」
1958年(昭和33年) – 二つ目昇進。
1968年に9月に 真打昇進。4代目小圓遊を襲名 笑点に既に出演していました。番組で真打披露が行われました。
1979年(昭和54年)8月 – 桂歌丸と共に落語芸術協会理事就任
1980年(昭和55年)10月5日 山形県村山市北村山公立病院で19時44分、死去。享年44(満43歳没)直接の死因は「動脈瘤破裂」

亡くなった本当の原因はお酒の飲み過ぎと言われています。一説によると「笑点」では当時「キザ」で売っていました。「キザの小圓遊」で人気者だったのです。
しかし本当の自分の芸風は本格派です。そのギャップに悩んだと言われています。
地方公演等に行くと、人気者で声が掛かりますがその殆んどが「笑点」のキャラクター関係の声だったそうです。
また、高座で本格的な古典を演じても「テレビと違う」と言う評判になりこれに随分悩んで結果としてお酒に逃げてしまったそうです。
実に惜しいですね。この亡くなった時には今も「笑点」のメンバーである林家木久扇師が最後を看取っています。この時の同じ落語会の出演者でした。

歌丸師との仲ですが実は悪くありませんでした。数々のエピソードは殆んどが「ヤラセ」でした。二人は同時期に芸協の理事になっており、同じ釜の飯を食った仲で、若手真打として一緒に協会を盛り立てていたのです。今も元気ならきっと歌丸会長の良き相談役となっていたでしょう。その意味でも本当に惜しかったです。

「得意演目」
蛇含草、替わり目、崇徳院、へっつい長屋、浮世床 ほか多数!!
小圓遊師の死はショックでした。当時テレビを見ていたらテロップが流れ「三遊亭小圓遊さんは本日亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします」と出たのです。
最初は全く意味が判りませんでした。現実感が無いという感じでした。
その後の放送で師の座っていた場所が座布団だけの空席なのを見て改めて亡くなったのを感じました。