ameuri 今日は「孝行糖」です。

明治初期に作られた上方落語の「新作」といわれますが、作者は未詳です。
三代目円馬師が東京に移植、戦後は三代目金馬師の十八番として知られ、
四代目金馬も演じています。
「本場」の大阪では、現在は演じ手がないと言う事だそうです。

孝行糖売りは明治初期、大阪にいたという説がありますが、実はその以前、
弘化3年(1846)2月ごろから藍鼠色の霜降に筍を描いた半纏を着て、
この噺と同じ唄をうたいながら江戸の町を売り歩いていた飴屋がいたことが
幕末の政商・藤岡屋由蔵の「見聞日記」に記されています。
まず、当人に間違いありません! いたんですよ!与太郎!

親孝行が認められてお上から青ざし五貫匁という褒美を頂いた与太郎に長屋の連中は大喜び。
この金を元手に与太郎に商売をさせようということになり、親孝行の功で褒美を頂いたことから「孝行糖」という名で流しの飴屋をやることに。
親孝行の徳、この飴を食べると子どもが親孝行になるというので、孝行糖は大人気。
ある日いつものように文句を唱えながら飴を売り歩いていると大名屋敷前で鳴り物を止めよと咎められる。
しかし、のんきな与太郎は叱りつける侍の言葉にあわせて「ちゃんちきちん、すけてん」などと歌うものだから、捕らえられてしまう。
偶然通りかかった人が門番に事情を説明して与太郎を助け出し、道の端へ与太郎を連れて行きこう言った。
「打ち首にされてもおかしく無いが親孝行の徳でお前は助かったんだ。どれ、何処を殴られたか言ってみろ」
すると与太郎。泣きながら体を指差して
「こぉこぉとぉこぉこぉとぉ(こことここと)」

結局はただのダジャレなんですが、そこがまた良いですね〜(^^)

水戸さまの屋敷前と言うのは今の後楽園の処ですね。
いまでは車が引きも切りませんが、当時は町外れで寂しかったんですね。
明日九月二十八日は古今亭志ん五師の命日ですので、今回は志ん五師でお聴きください。

1971年11月 - 二ツ目に昇進し、改メ古今亭志ん三
1973年 - 志ん生死去に伴い、志ん朝門に正式復帰
1982年11月 - 真打昇進を期に、改メ古今亭志ん五