a1297175え〜夏になると毎年扱ってるのですが、今年も聴いて戴きます。
談志師で「妲己のお百」です。

・あらすじ
実は「妲己のお百」とあだ名されるとんでもない悪女は、今は美濃屋の”こさん”として女主人になっている。
そこへ元は芸者で目を患っている”みねき”ちが、娘”およし”を預けにくる。”こさん”の勧めで”みねきち”は医者にかかって泊まりの養生をすることになったが、そのあいだに”こさん”は一芝居打って”およし”を吉原に売り飛ばしてしまった。
 いったん美濃屋に戻った”みねきち”は「”およし”に会いたい」と言うが、こさんは適当な言い訳で誤魔化して先延ばしにする。再び目が悪くなり、物音がする度に”およし”のことを言うので、バレる前に昔の仲間の重吉を雇って殺してしまうことにする・・・

悪い女ですねえ、自分の事しか考えていないという性格で、この後の殺しの場面は凄い迫力があります。
談志師匠怪談噺として、音源を残してくれていますが、さすがに良いです。
最も最後に照れるのがいいですね。ここに談志師の本来の人間性が垣間見れる気がします。

妲己のお百とは
「妲己」は中国殷王朝末期の妃で、悪女の代名詞的存在とされました。狂言作者・河竹黙阿弥の「妲己のお百」で知られる吉原の遊女、毒婦のお百が生まれました。秋田藩佐竹家の御家騒動に絡んで夫の那珂忠左衛門は斬罪となり、彼女はその後転変の人生を送ります。その転変ぶりは「秋田杉直物語」や「増補秋田蕗」などで彼女の性格を拡大して描かれ、京・大阪・江戸をへめぐった淫婦として、妲妃の名前を冠して講談「妲妃のお百」となり、歌舞伎化されました。

稀代の悪女って事なんですね。

立川 談志(1936年(昭和11年)1月2日 - 2011年(平成23年)11月21日)本名、松岡 克由
1952年 - 東京高校を中退し、4月の16歳で5代目柳家小さんに入門。本名の「克由」の一字を取って、柳家小よし
1954年 - 3月に二つ目昇進し柳家小ゑんに改名
1963年 - 4月に立川談志を襲名し、真打に昇進。
1971年 - 第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で初当選。直後に自由民主党(自民党)に入党。
1983年 - 落語協会真打昇進試験制度運用を巡って落語協会会長で、師匠小さんと対立
、83年落語協会を脱会し落語立川流を創設、家元となる。
2011年11月21日14時24分、家族に看取られて死去。死因は喉頭癌