igo今日は「碁泥」です。

上方落語の「碁打ち盗人」を三代目小さん師が、大阪の桂文吾師に教わり、大正2年ごろ、東京に移しました。
小さん師は、初め「芝居道楽」などのマクラとして演じ、後に独立させ一席の噺としました。
門弟の四代目小さん、孫弟子の五代目小さんと継承され、代々の小さん、柳派伝統の噺となりました。
柳家以外では6代目柳橋師、それに馬生師や志ん朝師の高座がありますね。
上方では現在はあまり演じられない様です。

碁仇のだんな二人。
両方とも、それ以上に好きなのが煙草で、毎晩のように夜遅くまでスパスパやりながら熱戦を展開するうち、
畳に焼け焦げを作っても、いっこうにに気づきません。

火の用心が悪いと、かみさんから苦情が出たので、どうせ二人ともザル碁だし、一局に十五分くらいしかかからないのだから、碁は火の気のない座敷で打って、終わるごとに別室で頭がクラクラするほどのんでのんでのみまくろう、と話を決めます。

ところが、いざ盤を囲んでみると、夢中になってそんな約束はどこへやら。
「マッチがないぞ」「たばこを持ってこい」

閉口した女将さんは、一計を案じ、煙草盆に紅生姜を入れて出します。
二人とも全く気がづかないので、かみさんは安心して湯に出かけます
そうとは知らぬ二人、碁に夢中である。煙草をつけようとしても紅生姜だから点きません。
「あれ!?おかしいなあ。つかねえ」と言いながらも、碁盤ばかり見つめています。。

そのすきに入り込んだのが、この二人に輪をかけて碁狂いの泥棒。
誰もいないようなので安心してひと仕事済ませ、大きな風呂敷包みを背負って失礼しようとすると、
聞こえてきたのがパチリパチリと碁石を打つ音がします。
矢も楯もたまらくなり、音のする奥の座敷の方に忍び足。
風呂敷包みを背負ったまま中に入り込むと、見ているだけでは物足らず、いつしか口出しを始めます。

「うーん、ふっくりしたいい碁石だな。互先ですな。
こうっと、ここは切れ目と、あーた、その黒はあぶない。それは継ぐ一手だ」
「うるさいな。傍目八目助言はご無用、と。
おや、あんまり見たことのない人だ、と。
大きな包みを背負ってますねッと」
「おまは誰だい、と、一つ打ってみろ」
「それでは私も、おまえは誰だい、と」
「へえ、泥棒で、と」
「ふーん、泥棒。泥棒さん、よくおいでだねッ、と」

碁とか将棋とか云うのは、凝ると「親の死に目に会えない」等といわれた位の中毒性のあるゲームですね。
私は将棋はてんで駄目ですが、囲碁は昔務めていた職場が全員囲碁好きでして、覚えました。
やってみると中々面白く、「こりや夢中になるのも無理は無い」と思いました。
そう云った事は昔から沢山あったのでしょうね。
今日は小さん師で聴いてください

1915年(大正4年)1月2日生まれ - 2002年(平成14年)5月16日)没
本名、小林 盛夫出囃子は、序の舞
1933年(昭和8年)6月 - 4代目柳家小さんに入門。前座名は栗之助。
1947年(昭和22年)9月 - 真打に昇進し、9代目柳家小三治を襲名
1950年(昭和25年)9月 - 5代目柳家小さんを襲名
1995年(平成7年)5月31日 - 落語家初の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
2002年(平成14年) - 5月16日心不全のため死去。87歳没。従五位を贈られる。