apr07051いくらか温かくなって来た気がします。またすぐに寒くなると判っているのですが、暖かくなるとこの噺を聴きたくなります。
と言う訳で「長屋の花見」です。
さて、解説をする前に……

落語ファンにとってはお馴染みで「落語研究会」の司会を担当していた元TBSアナウンサー山本文郎さんがお亡くなりになりました。79歳だったそうです。改めてご冥福をお祈り致します。これで、榎本滋民先生と一緒に極楽亭で名人の高座を楽しむ事が出来ますね……本当に素晴らしい番組をありがとうございました。

さて今日の噺です。
 元々は上方落語の演目で「貧乏花見」で明治37年ごろ、三代目蝶花楼馬楽師が東京に移し、明治38年3月の、日本橋常磐木倶楽部での第一次の第四回落語研究会に、二つ目ながら「隅田の花見」と題したこの噺を演じました。
 これが事実上の東京初演で、大好評を博し、以後、この馬楽の型で多くの演者が手掛けるようになりました。

 上方のものは、筋はほぼ同じですが、大家のお声がかりでなく、長屋の有志が自主的に花見に出かけるところが、江戸と違うところですし、持っていくごちそう?や酒?も自らが誂えて持って行きます。

 どの演者でも、「長屋中歯を食いしばる」の珍句は入れますが、これは馬楽師が考案したくすぐりです。馬楽--四代目小さん--五代目小さんと受け継がれていった噺です。今でも柳家始め多くの噺家さんが演じています。

 雨戸まで外して焚き付けにするという貧乏長屋の店子連中に大家さんからの呼び出しがかかります。すわ、店賃の催促かと思いのほか「そうじゃあない。花も見頃、今日は貧乏を追い出すために皆で花見に行こう」と大家さん。

 酒も肴も用意したというので、店子連中は「花見だ花見だ」「夜逃げだ夜逃げだ」などといいながら上野の山へ向かいます。
 満開の桜がならぶ上野の山。店子連中は、毛氈とは名ばかりのむしろを敷いて、物乞いの真似をしようとしたり、ほかの花見客が落とした食べ物を拾おうとしたりの大騒ぎ。

 そのうちに、大家さんが用意した酒と肴で宴がはじまるが、じつはこれ本物ではありません。
 お酒は番茶を水で割ったもの。かまぼこは大根の漬け物で、卵焼きは沢庵という始末。
「かまぼこ」を薦められた店子は「ちかごろ歯が弱くなったから食べづらい」とこぼしたり、「卵焼き」を食べようとする店子は「尻尾じゃないところをくれ」などと言い出す始末。
 薄い番茶を「灘の酒」に見立てて飲み出すが、アルコール成分がないから酔おうにも酔えません。
 そのうちに「灘の酒」を飲んでいた一人が、変なことを言い出します。
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるかい?」
「酒柱が立ちました」

 このほか、上方のサゲを踏襲して、長屋の一同がほかの花見客のドンチャン騒ぎを馴れ合い喧嘩で妨害し、
向こうの取り巻きの幇間が酒樽片手になぐり込んできたのを逆に脅し、幇間がビビって
「ちょっと踊らしてもらおうと」
「うそォつけ。その酒樽はなんだ?」
「酒のお代わりを持ってきました」
 とサゲる噺家さんもいます。

 この噺の問題点は舞台を上野としている処ですね。
 江戸時代は上野の山は寛永寺の敷地内だったので、花見と言っても飲食や歌舞音曲は禁止です。
 許されたのは明治からですので、明治期とするかですが、余りうるさく言わないで、楽しんだ方が良いですね。
 昔のお客は、飲食や歌舞音曲が許されていた向島や飛鳥山じゃ臨場感に乏しいと感じたのでしょうね。
今日は柳亭市馬師で聴いて下さい

4代目柳亭市馬 1961年12月6日 生 / 本名は右藤泰幸/ 出囃子は『吾妻八景』
1980年3月 - 5代目柳家小さんの門下で「小幸」1984年5月 - 二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。
1993年9月 - 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。落語協会副会長