0d84826d「大相撲」が始まりましたね。と言う訳で、今日は「寛政力士伝」より「小田原相撲」です。

江戸の相撲取りで人格、技量ともに優れた力士に横綱谷風梶之助がいました。
温厚でまず怒った事がなかったが、人生でただ一回だけ怒った事があったのです。

 伊豆の下田に大巌(おおいわ)大五郎という素人だが強い相撲を取る男がいました。
ところがこいつ、取り口も汚く相手を負かし、人を殺めた事もあったのですが、バックに地のヤクザが付いていたので手出しが出来ません。

有頂天になった大巌は「江戸の相撲取りと一番やりたいが、恐くて箱根を越えられないだろう」とうそぶいていた。この声を谷風が聞いて、小田原で3日興行を打って対戦する事になりました。

当日の賑やかな事、初日は頭突きの鯱(しゃちほこ)清五郎をあてます。
頭突きでは敵う者が居位という強者でしたが、その二人が対戦し大巌の胸に頭付きを食らわしました。
普通の人間だったら血反吐を吐いて倒れる所ですが、さすがの大巌受け止めます。
行司に見えないように指で目つぶしを食らわし鯱、もう一度頭突きを掛けたが、見透かされ体を変わして投げ飛ばされて、沼津まで飛んでいったと言う・・・

 これを見ていた谷風、これほど強いとは思わず、宿に帰って思案していると、親子連れが入ってきました。母親が言うには、亭主は奉納相撲で大巌に汚い相撲で投げ殺されたので、その遺恨を晴らして欲しいという嘆願。
年端もいかない息子も家の鶏が産んだ卵50個あるから必ず勝ってよと置いていきました。
この頃の卵は貴重品です。
 それを襖越しに聞いていた雷電が、ものの順番として私が取りましょうと言います。
谷風からOKが出ると、この卵は私のものですよね、といって丼に割り込んで飲み込んでしまった。

 2日目木村庄之助が呼び上げます、大巌、こなた雷電。雷電は197cm、169kg有ったという、大巌はそれより一回り大きかった。軍配を上げると、誰しもぶつかると思っていたが、雷電両手を上げてバンザイの形になります。
大巌驚かず二本差してガブリ寄りに、さしもの雷電も土俵際まで追いつめらましたが、ここで両の腕を下ろして、カンヌキの形になりました。
大巌の両の腕が内側に曲がり、血の気が失せてブルブルと震え始めます。
その時「ブキッ」と異様な音がして、続けてもう一度響きます。
雷電両腕を上げると大巌の腕がブラリと垂れ下がっていて、後々の事があると言うので、雷電張り手で大巌の顔面を張ります。
後年雷電の張り手は禁じ手になったほどスゴかったのですが、それを左右連続で張ったからたまりません。顔が3倍にも膨れあがってしまいました。
後は廻しと肩を持って投げ飛ばした。場内割れんばかりの大歓声です。
 谷風、雷電の師弟が親子のあだを討ったという、小田原相撲の一席。

「寛政力士伝」と言うのは講談や浪曲の演目で、このエピソード以外にも多くの噺があります。
・横綱谷風の品格を物語るエピソード「谷風七善根」
・親不孝の若者を改心させる「出羽屋幸吉」
・谷風の土俵入りを邪魔したため放り投げられたのがきっかけで、人望を失った侠客を兄弟分となって救う「橋場の長吉」
・病気の親の看病のため不振に陥った力士と対戦して勝ちを譲る「佐野山権平・情け相撲」等の噺があります。

谷風も雷電もご存知の通り実在の力士です。それぞれの力士については今日は書きませんが、検索していただくと、沢山出てきます。
まあ噺は創作だと思いますがね。(^^)
でも聴いていて楽しいし、いい話ばかりですね。
当時、力士は庶民から見れば、スーパーマンの様な感じだったのでしょうね。
小朝師で聴いて下さい

春風亭小朝 1955年生、本名 花岡 宏行、出囃子は『さわぎ』
1970年5代目春風亭柳朝に入門「小あさ」
1976年7月、二つ目 小朝、1980年5月、36人抜きで真打昇進、
1984年文化庁芸術祭優秀賞。1986年芸術選奨新人賞