ed370120今日は立川談志師の三回忌ですね。

今週と来週ラジオ日本で深夜に特番が組まれています。
「ラジカントロプス2.0」と言う番組です。
番組HRより
11月18日(月)、25日(月)は2週連続特別企画を放送します。11月21日で立川談志師匠は三回忌を迎えます。そこで、生前、談志師匠と深い御つきあいがあった春風亭小朝師匠、そして、立川談志師匠の直弟子の立川左談次師匠、立川ぜん馬師匠をゲストに、「立川談志三回忌特別番組」をお送りします。談志師匠を偲んで、天才噺家談志師匠の芸、今だから話せる意外な師匠の素顔など。

ネットでも聴けます。興味のある方はこちらから
http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/radio.php

で今日は最後の演目と言われた「蜘蛛駕籠」です。
元は上方落語の「住吉駕籠」で、住吉大社が舞台ですが、明治時代に3代目柳家小さん師が東京に持ち込み舞台を鈴が森に変えて演じました。

鈴が森で客待ちをしている駕籠(かご) 屋の二人組。
ところが、前棒がおめでたい野郎で、相棒がはばかりに行っている間に、茶店のおやじをつかまえて
「だんな、へい駕籠」と遣る始末です。
次に来たのが身分のありそうな侍で、「ああ駕籠屋、お駕籠が二丁じゃ」「へい、ありがとう存じます」
「前の駕籠がお姫さま、後ろがお乳母殿、両掛けが二丁、お供まわりが四、五人付き添って」
と言うから、てっきり上客と思い、喜び勇んで仲間を呼びに行きかけたら
「そのような駕籠が通らなかったか」・・・
その次は酔っぱらい。
女と茶屋に上がり、銚子十五本空にして、肴の残りを竹の皮に包んで持ってきたことや、
女房のノロケをえんえんと繰り返し、おまけにいちいち包みを懐から出して開いてみせるので、
駕籠屋は閉口。
今度は金を持っていそうなだんなが呼び止めるので、二人は一安心。
酒手もなにもひっくるめて二分で折り合いがつき、天保銭一枚別にくれて、
出発前にこれで一杯やってこいといってくれたので、駕籠屋が大喜びで姿を消したすきに、なんともう一人が現れて、
一丁の駕籠に二人が乗り込みます。
帰ってきた駕籠屋、やせただんなと見えたのにいやに重く、なかなか棒が持ち上がらないので変だと思っていると、中からヒソヒソ話し声が聞こえるから、簾をめくるとやっぱり二人。
文句を言うと、江戸に着いたらなんとでもしてやるからと頼むので、しかたなくまたヨロヨロと担ぎ出します。
ところが、駕籠の中の二人、相撲の話になり、ドタンバタンと取っ組み合いを始めたからたまららない。
たちまち底が抜け、駕籠がすっと軽くなります。
下りてくれと言っても、修繕代は出すからこのままやれ、オレたちも中で歩くからと、とうとう世にも不思議な珍道中が出現します。
これを見ていた子供が、
「おとっつぁん、駕籠は足何本ある?」
「おかしなことォ聞くな。前と後で足は四本に決まってる」
「でも、あの駕籠は足が八本あるよ」
「うーん、あれが本当のクモ駕籠だ」

籠の底が抜けて、客が歩く部分の原話は享保12年の笑話本「軽口初賣買」中の「乗手の頓作」ですが、
実在した大坂・船場の豪商で奇人として有名だった河内屋太郎兵衛の逸話をもとにしたものともいわれます。

雲助は芝居や時代劇では悪く描かれていますが、事実は落語の様に善良な人が多く、米朝師も噺の中で、
「こういう(住吉街道のような人通りの多い)ところの駕籠屋は、街中の辻駕籠同様、いたってタチがよかったもので」と語っています。

立川 談志(1936年(昭和11年)1月2日 - 2011年(平成23年)11月21日)、落語立川流家元。本名、松岡 克由
1952年 - 東京高校を中退し、4月の16歳で5代目柳家小さんに入門。本名の「克由」の一字を取って、
柳家小よし と名乗る。
1954年 - 3月に二つ目昇進し柳家小ゑんに改名
1963年 - 4月に立川談志を襲名し、真打に昇進。
1971年 - 第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で初当選。直後に自由民主党(自民党)に入党。
1983年 - 落語協会真打昇進試験制度運用を巡って落語協会会長で、師匠小さんと対立
、83年落語協会を脱会し落語立川流を創設、家元となる。
2011年11月21日14時24分、家族に看取られて死去。死因は喉頭癌[75歳没。