今日は先日「時代劇CH」で扇辰さんのこの噺を見たのですが、出来が悪かったですね。以前やっていたのとは違い臭かったです。
見た方もいらっしゃるでしょうがあれはいけませんね。
と言う訳で「悋気の独楽」です。
元はというか、今でも立派な上方落語です。
三代目の小さん師が移植したのですが、何故か当初は東京にはあまり根付きませんでした。
最も最近はかなりの噺家さんが高座に掛けています。
あのこぶ蔵もやってます、よせば良いのに・・・・・
四代目の志ん生師が音曲の素養を生かし、
この噺を「喜撰」と題して改作しています。
後半の独楽回しの部分を切り、小僧が清元の「喜撰」に
熱中するあまりお内儀さんを小突くので、
「おまえ、人を茶に(=馬鹿に)するね」
「へい、今のが喜撰(宇治茶の銘柄と掛けた)です」
というサゲにしました。
八代目の柳枝師の録音が「喜撰小僧」として残っていますし、
最近は柳亭市馬師が高座に掛けています。
あらすじは・・・夜になるといつも外出する旦那。それを「女のところでは」とあやしく思った女房は、小僧に後をつけさせる。するとやはり、旦那は妾のところへ。小僧に気づいた旦那は、小僧を買収し、妾の家に連れて行く。そこでは、3つの独楽でその晩の旦那の身の振り方を占うことにしていた。小僧は、その辻占の独楽をみやげにもらって帰ってくるのだが・・・・
結構好きな演目ですね。貞吉が重要な役回りをするのですが、子供なので抜けている処があるんですね。
まあ、そこが面白いし、かわいい処ですね。
見た方もいらっしゃるでしょうがあれはいけませんね。
と言う訳で「悋気の独楽」です。
元はというか、今でも立派な上方落語です。
三代目の小さん師が移植したのですが、何故か当初は東京にはあまり根付きませんでした。
最も最近はかなりの噺家さんが高座に掛けています。
あのこぶ蔵もやってます、よせば良いのに・・・・・
四代目の志ん生師が音曲の素養を生かし、
この噺を「喜撰」と題して改作しています。
後半の独楽回しの部分を切り、小僧が清元の「喜撰」に
熱中するあまりお内儀さんを小突くので、
「おまえ、人を茶に(=馬鹿に)するね」
「へい、今のが喜撰(宇治茶の銘柄と掛けた)です」
というサゲにしました。
八代目の柳枝師の録音が「喜撰小僧」として残っていますし、
最近は柳亭市馬師が高座に掛けています。
あらすじは・・・夜になるといつも外出する旦那。それを「女のところでは」とあやしく思った女房は、小僧に後をつけさせる。するとやはり、旦那は妾のところへ。小僧に気づいた旦那は、小僧を買収し、妾の家に連れて行く。そこでは、3つの独楽でその晩の旦那の身の振り方を占うことにしていた。小僧は、その辻占の独楽をみやげにもらって帰ってくるのだが・・・・
結構好きな演目ですね。貞吉が重要な役回りをするのですが、子供なので抜けている処があるんですね。
まあ、そこが面白いし、かわいい処ですね。
今日は上方落語であると言う事ですので文枝師で聞いてください
五代目桂文枝 1930年- 2005年 、本名は長谷川 多持、1947年4月 米之助の紹介で4代目桂文枝に入門
1954年4月 3代目桂小文枝に改名し、落語界に復帰。
1992年8月3日 5代目桂文枝を襲名 2003年 旭日小綬章受章
※落語とは関係無いのですが、このライブドアブログで、「ライトなラノベコンテスト」と言う企画が開催されています。
http://blog.livedoor.com/novel_contest/
そこで私もペンネームで小説もどきを書いていましてエントリーしました。(よせば良いのにw)
気が向いた時にでも宜しかったら御一読くださいm(_ _)m
http://blog.livedoor.jp/isogaihajime-manbou/archives/929418.html
五代目桂文枝 1930年- 2005年 、本名は長谷川 多持、1947年4月 米之助の紹介で4代目桂文枝に入門
1954年4月 3代目桂小文枝に改名し、落語界に復帰。
1992年8月3日 5代目桂文枝を襲名 2003年 旭日小綬章受章
※落語とは関係無いのですが、このライブドアブログで、「ライトなラノベコンテスト」と言う企画が開催されています。
http://blog.livedoor.com/novel_contest/
そこで私もペンネームで小説もどきを書いていましてエントリーしました。(よせば良いのにw)
気が向いた時にでも宜しかったら御一読くださいm(_ _)m
http://blog.livedoor.jp/isogaihajime-manbou/archives/929418.html
この種のは、権助や定吉が狂言廻しのような役回りで本妻さんとのやり取りが面白く聴けますが、途中までは『悋気の火の玉』とは同じ様な筋立てで、後半に差し掛かるまではどちらの咄か判別できないことが多いアタシです。当代こぶ蔵師のも聴いたことありますが、どなたの実演でも古風でほのぼのした時代性を感じます。以前には親類がやっていた赤坂の料亭近辺では、政財界の二号サンが黒板塀の邸宅を構えていましたが、最近ではその頃の面影はなくなりました。現代の二号サンたちはどこに住んでいるのやら…??