4cca5763昨日は仕事がお休みでしたので、浅草の夜席に行きました。
本当は昼席に行きたかった! だって茶楽師が出るからですが、色々と用事が重なりまして、断念!
それで夜席になりました。

夜席に開場(招待券の人が入れる時間)よりわずかに遅くなってしまいました。
昨日は2階席も開いていましたので、当然2階に上がります。
2階の一番前の端で見るのが好きなのです。

昨日は初日だというのにプログラム通りに全く行われないのです。
これなら、前後5日間で行う意味がありませんね。
ほとんど、代演……まあ、予定通りだとかなり酷いメンツでしたから、返って良かったのですが……

中に入ったらもう前座の遊松さんが「道灌」を演じていました。
この人、遊三師のお弟子さんなんですね。経歴を見ると昨年の入門なんですね。
それにしては達者でした。
それでは順に紹介していきます。

・可龍……「コウモリの恩返し」(こうもり) 小朝師以外で始めて聴きました。可も無し不可も無しといった感じです。

・神田京子……「山内一豊、出世の馬買い」 講談は評価するほど聞いてないので、パスです。

・夢吉……「蜘蛛駕籠」の枕だけ。慢談の部分が長い! 高座はやっと明るくなったけど……噺しろよな!

ここまでプログラムに書かれている人は出て来ていません……酷いでしょう?

・鯉朝……「夏泥」 結構まともに聴けてしまったw 比較の問題でしょうか?

・南玉……曲独楽

・里光り……「始末の極意」 この人これが多いな!捨てネタか? はっきり言ってこの人才能無い!

・南なん……「幇間腹」 陽気で結構でした。

・マジックジェミー この時隣のおばさんが、本気で高座のジェミーさんと会話しようとして大声を出すのがウザかった。帰ろうと思いました。

・小南持……「写真の仇討ち」 演者が違うとこうも違うか!という見本。良かったです。

さてトリの遊雀を楽しみにしようと思っていたら、携帯が震え出しまして、用事ができてしまい。やむなく帰宅する事になってしまいました。

出場演者が殆んど変わってしまっているのに、演芸ホールが何の張り紙もしてないのがおかしいですね。
だから前の道路に出している演者の木札がガラガラで殆んどはまって無かったのですね。
それが不親切だと思いました。
相変わらず若い兄ちゃんは態度悪いしw
改善して欲しいですね。
今日はこれを聴いてください

六代目春風亭柳橋
明治32年(1899年)10月15日 - 昭和54年(1979年)5月16日)出囃子は『大阪せり』
明治42年(1909年)ないし明治43年(1910年)、9歳で子供落語家春風亭柳童として初舞台。
大正4年(1915年)、5代目春風亭枝雀と改名し二つ目
昭和5年(1930年)、柳家金語楼とともに日本芸術協会(現在の落語芸術協会)を結成し、
以降44年間会長職を務 める。
昭和54年(1979年)、没。享年79。