20080801え〜皆様、日本列島がスッポリと猛暑の中にありますが、月遅れのお盆をどう過ごされているでしょうか?
私は仕事です……暇ですがw

そこで今日は如何にも人を喰った噺、「身投げ屋」です。

元は上方落語だったそうですが、それをを元にして柳家金語楼師が創作した新作落語です。
余り演じられない噺ですが雲助師と芸協の夢吉さんが高座に掛けます。

金がなくて地見屋なんて商売をしている男が、知人から「そんなのよりいい商売がある」と教えられます。
それが「身投げ屋」と言う商売で、橋の上から身投げをすると見せかけて、止めてくれた人に、
「実は金がなくなって困っています」と言えば、その人が必ず「いくらあれば死なずにすむんだ」と聞いてくれると云う訳です。

そこでその人にふさわしいだけの額を言えば、きっとその人はお金をくれると言うのです。
それを聴いたこの男は早速試してみようと、両国橋に12時過ぎにやってきて、
身を投げるふりをすると、運良く人が止めてくれたのですが、最初はお巡りさんでダメ。
次を探すと、外套を着た恰幅の良い紳士がやってきた。止めてくれて、経緯を話すとお金なら何とかしようと言う有り難い話。金持ちそうだからと値踏みをして200円と言ったら、支払いを済ませた後だからと100円を出した。100円ではダメだと言うと名刺をくれて明日残りを取りにおいでと言われて初仕事は成功。

 次の人が来たので「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に手を掛けたところ、職人に殴られてしまいます。
金がないなら死ぬと言うがいくらだと言う言葉に、相手が相手なので、20銭だというと、
「そんな子供の小遣いだろう」といいます。
そのうちに、大家に、酒屋に、米屋にと重なって、40銭が1円になって、2円が3円になりますが、お金は無いと言われます。
「助けてもらっただけ有り難いと思え。市電の回数券が有るからやる」と渡されましたが、使用済みでした。

 次に来たのが親子連れで、見ていると帯を結びあって、「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に足をかけたので、慌てて止めに入った。
聞くと、母親は死んで、父親は目が見えず、子供も母親のところに一緒に行きたいと云うのです。
国に帰るお金もないので死ぬと言い張ります。
遠くてはいけないが、赤羽ぐらいなら面倒見ようと云いますが、100円無ければどうしようもないと・・・・
そこで、やむなく先程の100円を渡してしまいます。

 父親は息子にこの金は先程の人に返してきなさいと言ったが、既にその場には居なく、見当たりません。
「本当に居ないか?」
「それじゃ〜。今度は吾妻橋でやろう」。

昔は吾妻橋と言うと自殺の名所でした。って本当ですかねえ?
落語では相場ですが、事実はどうだったのでしょうね。

地見屋とは、地面を見て、金目の物を拾い集めて生計を立てたる商売と言う事ですが、何でも拾ったのでしょうねえ。釘等の金属も貯まれば買い取ってくれるのでしょうね。
今は瓶等只ですが、私が子供の頃は酒屋に持って行くと5円〜10円(瓶の種類によって金額が違う)になりました。

両国橋は江戸時代から何回も流失や崩落してきたそうですが、明治8に西洋風の木橋が出来ました。
ところがこの橋は明治30年の8月の花火大会の見物人の多さに耐え切れず、10m以上に渡って
欄干が崩れ落ち、10名以上の犠牲者がでました。それを期に明治37年に鉄橋へと架け替えられました。
現在のはその後昭和7年に架け替えられた橋です。
この噺の両国橋は鉄橋の橋かも知れませんね。
五街道雲助師で聴いて下さい。


6代目五街道雲助、1948年3月2日生、。出囃子は「箱根八里」。本名は若林恒夫
1968年 - 2月、10代目金原亭馬生に入門「駒七」、1972年 - 11月、二つ目昇進「五街道雲助」
1981年 - 3月、真打昇進 2009年 - 文化庁芸術祭優秀賞