05-a0e8dここの処、仕事に追われて更新出来ませんでした。この後も多分更新が滞りがちになると思います。すいません。
で、今日は今日は「権助提灯」です。「悋気の提灯」という別名でも呼ばれてるようです

さるご大家の旦那ですが、妾を囲っているのですが、お内儀さんがいたって物分かりがよく、
またお妾の方も本妻を立てるので、家内は円満で、だんなは本宅と妾宅に交互にお泊り
という、大変にうらやましい環境です。(一見w)

ある夜、旦那が本宅に帰ると、お内儀さんが、
「今夜は火のもとが心配だから、あちらに行っておやりなさい」
と言うので、旦那はその言葉に甘えて、飯炊きの権助に提灯を付けさせて供をさせ、
妾宅に引き返しました。

するとお妾の方でも、本妻に義理を立てて、お内儀さんに済まないから今夜は帰ってくれ
と、言うのです。
またも本宅へ引き返すと、お内儀さんが承知せず、
こうして何度も本宅と妾宅を行ったり来たりするうち、
提灯の火が消えました。

「おい、権助、提灯に火を入れな」
「それには及ばねえ。もう夜が明けちまっただ」

落語に出て来る、権助、ですが、特に飯炊き専門に雇われた男の総称で地方出身の商家の使用人の総称です。
落語の田舎言葉は架空のもので、何処の地方だか特定出来ない様になってます。

江戸時代には、妾を商売とする女性もいたそうです。
享保あらいから、江戸でも武士・町人・僧侶など、階級を問わず、富裕な者は妾を持つことが一般化しました。
安政大地震(1855)以後、下級武士や町家の娘が、生活の助けに妾として身を売るケースが増え、
今で言う契約愛人が成り立つようになったそうです。
愛人契約にも、さまざまなオプションがありました。安囲いといい、一月または二月契約で、
月二〜五両の手当ての者は、旦那が通ってくる日数まで、契約で決まっていたそうです。
中には複数の女性を同じ所に住まわせていた者もいたそうです。
え?羨ましい!・・・う〜ん最近はそうは思わなくなりましたね(^^)



古今東西色々な噺家さんが演じていますが、今日は四代目圓遊師で聴いてください。

4代目三遊亭 圓遊明治35年 - 昭和59年 本名は加藤 勇。出囃子は『さつまさ』。
大正11年6代目雷門助六に入門、音助となる。大正15年(1926年)5月、6代目都家歌六を襲名し真打に昇進
昭和5年頃に柳家三太郎として幇間に出る。昭和18年復帰。、昭和21年4代目三遊亭圓遊を襲名。享年81