20100503193027c1a今日は「巌流島」です。

原典は中国の古典「呂氏春秋・察今篇」という逸話集からです。
安永2年(1773)刊の「坐笑産」中の小ばなし「むだ」を始め、さまざまな笑話本に脚色されていますが、
その後上方落語「桑名舟」として口演されたものを東京に移す際、佐々木小次郎の逸話をもとにした講談の
「佐々木巌流」の一節が加味され、この名がついたものです。

そのせいか、もとは若侍を岸に揚げた後、老人が、昔佐々木巌流(小次郎)がしつこく立ち会いを挑む相手を小島に揚げて舟を返し、勝負をしなかったという伝説を物語る場面がありました。
この説明がなければ、「巌流」といっても何のことかわからず、むしろ「岸流島」の演題が正しいと言われています。

六代目円生師、八代目正蔵師、三代目小円朝師などの大看板が手掛けましたが、何と言っても
志ん生師のが絶品です。
時にこれは貴重な映像も残っています。
上方では、東海道・桑名の渡し場を舞台にしています。

浅草の御廐河岸から渡し船に乗り込んだ、年のころは三十二、三の色の浅黒い侍。
船縁で一服つけようとして、煙管をポンとたたくと、罹宇(らお)が緩んでいたと見え、雁首が取れて、川の中に落ちてしまいました。
船頭に聞くと、ここは深くてもう取ることはできないと言われ、無念そうにブツブツ言ってる処に
屑屋が、早速商売っ気をだして不要になった吸い口を買い上げたいと持ちかけたので
「黙れっ、武士を愚弄いたすか。今拙者が落とした雁首と、きさまの雁首を引き換えにいたしてくれるから、そこへ直れっ」ときたから紙屑屋は仰天してし舞います。

いくら這いつくばって謝っても、若侍は聞き入れません。
あわれ、首と胴とが泣き別れと思ったその時、中間に槍を持たせた七十過ぎの侍が
「お腹立ちでもござろうが、取るに足らぬ町人をお手討ちになったところで貴公の恥。ことに御主名が出ること、乗合いたししたる一同も迷惑いたしますから、どうぞご勘弁を」
と詫びたが、かえって火に油で「ならば貴殿が代わりに相手をしろ」と云う始末。

「それではやむを得ずお相手するが、ここは船中、たってとあれば広き場所で」
「これは面白い。船頭、船を向こう岸にやれ」
さあ、船の中は大騒ぎになります。

対岸近くなると、若侍は勢いこんで飛び上がり、桟橋にヒラリと下り立ちます。
すると、老人は槍の石突きでトーンと杭を突きます。
反動で船が後戻りしていき、見る見るうちに岸から離れて仕舞います。

悔しがる若い方の侍。
何を思ったか裸になると、大小を背負い、海にざんぶと飛び込びます。
こりゃあ、離されて悔しいから、腹いせに船底に穴を開けて沈めちまおうてえ料簡らしいと、一同慌てるが、
老人少しも騒がず、船縁でじっと待っていると、若侍がブクブクと浮き上がってきた。

「これ、その方はそれがしにたばかられたのを遺恨に思い、船底に穴を開けに参ったか」
「なーに、落ちた雁首を探しにきた」

この若侍は本当は老人に一泡吹かせようと狙っていた・・・とは考えられませんかねえ・・考え過ぎですかね。
音源は小朝師で聴いてください。少し録音状態が悪いです。


春風亭小朝 1955年生、本名 花岡 宏行、出囃子は『さわぎ』
1970年5代目春風亭柳朝に入門「小あさ」
1976年7月、二つ目 小朝、1980年5月、36人抜きで真打昇進、
1984年文化庁芸術祭優秀賞。1986年芸術選奨新人賞