ikuyomochi001-1今日は志ん生師で有名な「幾代餅」です。
圓生師で有名な「紺屋高尾」も同じ系統の噺です。

江戸は馬喰町三丁目、搗米屋に奉公する清蔵が、急に体調が悪くなり部屋から出てこない。
お医者様のお見立てによると「体は悪くないが、胸につかえたものがあり、それが原因」とのこと。
店のおかみさんが清蔵に話を聴くと、胸のつかえはなんと恋患い!それも吉原で全盛の花魁、幾代太夫の錦絵に一目惚れしてしまったという。
どうしても幾代太夫に逢いたいという清蔵に、親方は「花魁はしょせん売り物買い物。
一生懸命金を貯めれば、逢えないことはない。まず一年間は必死で働いてみろ」と言う。

そして一年後。清蔵は働きに働いて十三両二分という金が出来た。親方はなかば呆れながらも清蔵を応援し、吉原通の藪医者、藪井竹庵先生に案内を頼む。
竹庵は「搗米屋の職人と名乗っては花魁が逢ってもくれない。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにするから、万事鷹揚に振る舞うように」とアドバイス。遊廓では幾代太夫が清蔵をねんごろにもてなしてくれた。

その翌朝「今度はいつ来てくんなますか」という幾代に、清蔵は「来られるのは一年後。
醤油問屋の若旦那というのは嘘で、じつは搗米屋の職人です」とすべてを打ち明ける。
それをじっと聴いていた幾代太夫は、来年の三月に年が明けるから女房にしてくれと、五十両の支度金を清蔵に渡す。
夢見心地で時が過ぎると、立派な駕籠に乗って本当に幾代が嫁いで来た。
 夫婦で餅屋を開くと、美人の幾代餅として評判になり、三人の子宝にも恵まれ、維新の世まで幸せに暮らしたと云う・・・・両国名物「幾世餅」由来の一席でございます。

搗米屋の職人で清蔵と、最高位の花魁、幾代太夫のなれそめの一席。
江戸時代、吉原の大店の太夫は大変な美貌と教養を兼ね備え、遊ぶには大金が必要だったそうです。
なかには高尾太夫の様に大名家に身請けをされた花魁もいます。
これは「仙台高尾」として金馬師がやってます。

清蔵の用意した金、十三両二分は、現在の価値で九十万円以上に相当し、それだけ高い買い物だったのですね。
ひるがえって、職人には高い収入も財産もない。この二人の立場の違いを理解していないと、この噺の理解は出来ないですね。

元は浪曲の演目ですので、落語では志ん生師が落語化したこの噺と、圓生師が直した「紺屋高尾」とがあります。両者の違いは職業と、お金を貯める年月が違いますね。

この噺は正直、志ん生師です。馬生師も志ん朝師も演じています。
それぞれ趣向凝らして、父親の志ん生師とかぶらない様に演じています。
今日は古今亭菊之丞さんで聞いて下さい

古今亭菊之丞 本名、小川 亮太郎 、1972年10月7日生まれ
1991年2代目古今亭圓菊に入門「菊之丞」
1994年11月 - 二つ目昇進。
2003年9月 - 、真打昇進。