コメント一覧 (16)
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- 2012年12月10日 16:40
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また、大事な方がお一人、鬼籍に入られました。非常に悲しいです。
一度もお会いする機会もありませんでしたが、先生の本・CD・DVD、拝見できるものは手当たり次第に拝見しました。
昔から、お名前は存じておりましたが、あるとき、図書館で落語のCDを借りるとき、ふと先生のCDも一緒に借りたのがきっかけでした。
芸能のすごさ、恐ろしさを認識させていただいたきっかけです。
私の中ではまだまだ、未消化ですが、地を這うような芸能の迫力を感じられるようになったのは、先生のおかげです。
本当に、ありがとうございました。
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- 2012年12月10日 18:34
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エッ〜! ビックリしました。
皆さんと一緒 ”小沢昭一的こころだ〜”で私にとって、永遠に不滅です。
御冥福をお祈りします。
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- 2012年12月10日 18:37
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藪先生
本当に悲しいです。
他人が亡くなって、泣きたくなったのは初めてです。
すいません、今コメント出来ません。(ノД`)
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- 2012年12月10日 18:40
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宗助さん
本当に悲しいです。
ちょっと今は勘弁して下さい。
すいません。(ノД`)
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- 2012年12月10日 18:41
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emikoさん
今は悲しくて、駄目です。
すいません、本当にすいませんm(_ _)m
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- 2012年12月10日 19:43
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喜劇役者や放浪芸の功績も大きいのだと思いますが、私にはラジオ番組「小沢昭一的ココロ」の方ですね。
小学生の頃から聴いていたと思います。
社会人となってからは時間的に聴くことができなくなりましたが、あの語りがもう聴けないとは寂しい限りです。
永六輔さんはまだラジオ番組を持ってらっしゃいますが、かつての語りは出来なくなっていますしね。
TBSは特番を組むと思うので聴きたいです。
※hajimeさん、リコメは無理なさらずに。
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- 2012年12月10日 21:38
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namさん
やっと落ち着きました。
正直、そろそろかと思っていました。
残念です。
下手な噺家顔負けの話術で、五代目小さん師も絶賛していたそうです。
弟子にも、見習えと言っていたとか。
段々つまらない世の中になります。(><)
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- 2012年12月10日 23:07
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hajimeさん、TBSの特番決まりましたら、ぜひともUPお願いします。
悔しいですが、こちらでは聞くすべがありません。
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- 2012年12月10日 23:23
- お久しぶりです。最近、寄席から遠ざかってしまって名画座の日々です。お陰で小沢昭一さんの役者としての仕事を色々拝見することが出来ました。したまちコメディ映画祭での井上ひさし追悼特集で、一度だけですが生で声を聞くことも出来ました。自分が好きになった分野の巨人たちが、どんどん去っていきますが、その存在を感じ、ほんとにの末端からですが見送ることができたのは幸せなことなのかな、とも思っています。
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- 2012年12月11日 00:06
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宗助さん
情報が入れば良いですね。
努力します(^^)
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- 2012年12月11日 00:11
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お席亭
とあえて呼ばさせて戴きます。
もう痛風が痛くてww
名画座めぐりは高校の頃、23区と三鷹はほぼ制覇しました。
そのせいで大学落ちましたがね。
小沢さんの映画も沢山見ました。
非常に印象に残る役」をやっていましたね。
私は10代の多感な頃に名作と呼ばれる作品を沢山見ました。
それは財産になっていますね(^^)
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- 2012年12月11日 19:17
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静岡県伊豆市のmcです。覚えていられないかもしれませんが、お久しぶりに書き込みをさせて頂きます。hajimeさんには色々落語の事を教えていただき本当に感謝しております。明日、浅草演芸ホールに行き、年末には関西にも出没する予定で、自分の世界が広がり本当に落語って楽しいなあと思っています。
小沢昭一と言えば、映画好きとしてはやはり『幕末太陽伝』ですね。実は遥か昔の学生時代に小田急線代々木上原に下宿してまして、代々木上原から乗ったら偶然小沢一郎に遭遇しました。こちらは今村昌平、川島雄三の映画で目に焼き付いているので、車両内に立って周囲から視線を避けている彼に知らないうちに本能的に近づいて行きましたが、先端の車両に逃げられしまったのを今でもはっきり覚えています。何か彼の映画で見る怪しい雰囲気そのままの中年の小沢昭一だったので可笑しかったです。以前お話しした柳家喜多八師匠(修善寺の百笑で露天風呂で遭遇)に逃げられたのと同じ感覚でしたよ。本当に惜しい人々(中村勘三郎さんや森光子さん)が今年は亡くなられましたね。
追伸:僕が好きな川島雄三の『貸間あり』にも常連だった小沢昭一が出てるようですが、残念ながらレンタルできず未だに見れないでいます。かなりの珍作のようですから、恐らく怪演していると察します。
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- 2012年12月11日 21:16
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未確認情報ですがラジオ「小沢昭一的こころ」は今週は傑作選の続き、年内いっぱいは追悼番組だそうです。
うちのカミさんに「『小沢昭一的こころ』は小学生の頃から聴いてたよ」と言ったら、「オタクっぽい子どもだったんだね」と。
全く何も分かっていない(怒
まあ、あの頃は「なんだか面白げな話しをするおじさんだなぁ」という程度で、熱心に聴いていた訳ではなかったと思う。
でも毎日楽しみに聴いていた時期は有ったんだよなぁ。いつ頃のことか、記憶は定かではないけれど。
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- 2012年12月11日 22:17
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namさん
今日は、小沢さんを偲んで、ブログはおやすみです。
私の親父がこの番組を好きで、よく聴いていました。
落語好きだった親父は、小沢さんの語り口を愛していました。
亡くなる半年前から事故で入院していましたが、ラジオで、必ず聴いていました。
おんなには理解できない世界があると正直思います。
我が家でも同じです。(^^)
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- 2012年12月11日 22:21
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mcさん
覚えていますよ(^^)
喜多八師の事は残念でした。
私はあまり有名人に出くわさないのですが、mcさんはそう言う運があるのかも知れません。
そのうち大物と遭遇するかも。
小沢さん、本当に貴重なバイプレーヤーでした。
もうTVや映画もDVDの再生装置と化しますね。
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「○○の心だ〜」ってのは、ウチのブログの記事でも何度も使わせていただいたフレーズです(^ω^)
小沢さんは83歳で亡くなりましたか。志ん生と同じ83歳でしたね。5:15のところで小沢さんがやってる出囃子の口三味線は「野崎」で、文楽の出囃子ですね。正蔵の菖蒲浴衣のメロディはちょっと難しいからなのか・・・(^ω^)
今や全国の大学や高校にある「落語研究会(おちけん)」の一番最初のものは、小沢さんが早稲田大学在学中に作った落語サークルでした。
正蔵は四代目 圓蔵門で24歳の時に三代目 圓楽を名乗ったんですが(この時の兄弟子が、19歳の後の圓生)、27歳の時に品川の圓蔵が亡くなったので三代目 小さん門に移籍しました。
「ちりとてちん」の作者の小はんや当時小山三を名乗っていた後の今輔と共に落語革新派ってのを作ったんですが、五ヶ月もしないで解散。その後に映画弁士の徳川夢声が主催していた「談譚集団」と云う漫談研究会に所属しました。この時の夢声さんとの交流が最晩年一年だけ使った「彦六」と云う名前だと云う事を知った上で、「彦六」と呼んで欲しいです。
「トンガリの彦六」とか「トンガリの正蔵」ってのは、「鶴本の志ん生」と云うのと同じで変なんです。それを云うなら「鶴本の馬生」であり「トンガリの馬楽」です。