img001今日は「権助芝居」です。

「権助茶番」「一分芝居」「一分茶番」とも云われている噺で、忠臣蔵の芝居が登場するので、その時期になると良く掛かります。

今日は町内の芝居好きが集まっての素人芝居の当日です。
観客席はお客様で一杯ですが、いつまでたっても幕が開きません。
というのも序幕の芝居に出演するはずだった伊勢屋の若旦那がどこかへ行ってしまったのです。
若旦那の役は家宝の鏡を盗み出す盗賊の役なので、役に不満があり、来なくなったに違いないのです。

しかたがないので代役をさがせということになり、白羽の矢が立ったのが飯炊きの権助。
田舎言葉丸出しの奉公人ですが、話しをきいてみると、田舎の村芝居に出たことがあるというのです。
しかも忠臣蔵の祇園一力茶屋の場、お軽の役をやったというから回りの者は驚きます。
店の番頭は権助に一分の小遣いをやると、盗賊の役をやることを承知させ、さっそく芝居の稽古します。
台詞も段取りも覚えられないので、小道具の裏にカンニングペーパーを貼り、それらしく演じるように教え込見ます。

ところが、舞台に出てきたときに鏡を盗んだことを説明する長い台詞を言わなければならないのですが、
教えた台詞を間違えたり田舎言葉丸出しで言ったり、挙句の果てに野次った観客に文句言ったりする始末です。
さらには立ち回りの場面で本気で取っ組み合いを始めてしまったりとめちゃくちゃです。

ようやく尋問の場面になるのですが、観客に「権助、縛られて無様な格好だな」と野次られて、
「そんなことはねえだ」と種明かしをして踊り出してしまい、頭にきた相手役が今度は本当に高手小手に縛ってしまいます。
そして尋問の場面で、「誰に頼まれた」
「番頭さんに一分で頼まれた」

江戸時代の最大の娯楽と言うと芝居でしたね。落語でも色々な噺があります。
「七段目」の定吉や若旦那は芝居に夢中ですし、女子供に至るまで浸透していました。
なので、芝居好きが集まって素人芝居を催すことがしばしばあったそうです。
落語でも「蛙茶番」や「九段目」がありますね。

権助が「田舎ではお軽を演じた」と自慢していますが、当時としては当然ありえた設定だった様です。

今日は初代馬の助師で聴いて下さい。

初代金原亭馬の助 1928年4月9日 - 1976年2月6日本名、伊東武、出囃子は『どうぞ叶えて』
1944年11月 - 5代目古今亭志ん生に入門し、古今亭志ん駒、1948年3月 - 二つ目に昇進し、むかし家今松
1960年5月 - 真打に昇進し、金原亭馬の助を襲名、1976年 - 死去。享年48