99dd89c506ef8a680f11903b1d772320今日は「堀の内」です。

古くからある噺で、元は宝暦2年(1752)刊の笑話本「軽口福徳利」や寛政10(1798)年刊「無事志有意」等にも見られます。
上方では「いらちの愛宕詣り」と言いまして「いらち」とは「あわてもの」の意味です。

噺は病気の様な粗忽者がなんとか直そうと、堀の内のお祖師様に歩いてお参りに行くという噺です。
まあ、その慌てモノぶりが半端ではありません。
「粗忽の釘」の亭主といい勝負かも知れません。もしかしたら本人か?
ちなみに、江戸っ子は「おそっさま」と言います。

このお祖師様こと妙法寺ですが、正式には「厄よけ祖師 堀之内 妙法寺」というそうです。
山号寺号は、日円山妙法寺となります。
何でも由来は、1261年(弘長元年)、日蓮聖人が伊豆に流された時のこと。
お供を許されなかった弟子の日朗上人が、師を慕って像を彫りました。
2年後に戻った日蓮聖人が、その像に魂を入れたのですが、その時、聖人が42歳の厄年だったので、
像は「厄よけ祖師(日蓮大菩薩(ぼさつ))」といわれるようになった、と伝えられています。
今は、妙法寺の祖師堂の厨子(ずし)にまつられており、境内に入るだけで厄よけになるという、有り難さです。

今の住所は、東京都 杉並区堀ノ内3の48の8ですね。環七に面しています。
20101026-330422-1-Lこの地図に「清水屋」と書いてありますが、この店は揚げ饅頭が有名です。
注文してから揚げてくれるので、熱々が食べられます。つぶあん、こしあんが各130円、カボチャあん150円
妙法寺に行きましたら是非!

十代目文治師は「あわてもの」の題でお詣り先を浅草の浅草寺として話していました。
もうね、伸治時代の爆笑編が忘れられません。
可笑しくて、可笑しくて、本当にお腹かが痛くなりました。
文治になってからは落ち着いて仕舞いましたね。
やはり上り坂が一番良いのでしょうかねえ。

上方は噺の筋そのものが違っていて、前半は東京と少し違っていて、
いらちの喜六が京の愛宕山へ参詣に行くのに、正反対の北野天満宮に着いてしまったりのドタバタの後、
賽銭は三文だけあげるようにと女房に言い含められたのに、間違えて三文残して
あと全部やってしまう、というように細かくなっています。
最後は女房に「不調法いたしました」と謝るところで終わらせます。

湯に行く途中に間違えて八百屋に入り、着物を脱いでしまうくすぐりや朝起きて、笊で水を汲んだり、猫で顔を拭いたり、電柱に挨拶したり、ストーリーにあまり関係ないを入れることもあります。
伸縮自在なので、時間がないときにはサゲまでいかず、途中で切ることもよくあります。
ですから今でも寄席でよく掛かる演目の一つです。
今回も圓遊師で聴いてください。ちなみにyahooの方は志ん朝師です。

四代目三遊亭圓遊 明治35年2月12日〜昭和59年1月9日 享年82 前名=初代 桂伸治
出囃子=さつま 本名=加藤勇