e8039a2c31a42cddb13a-LL昨日は志ん五師の命日でしたので、一日遅いですが記事にしました。

志ん五師は寄席以外でも随分聴きました。我街の師匠の小袁治師が開いてる「あやめ寄席
という会に随分出てくれました。
この会は小袁治師の同期が話す場所を求めて、造った落語会で、他には一朝師、小金馬師、歌司師、八朝師等がレギュラーでした。

師匠方はいつもより一生懸命に高座に臨んでいました。
寄席とは明らかに力の入れ具合が違う感じでしたね。
芸と商売ですか、志ん生師ではないけど、そんな事も考える位皆良い出来でした。

歯切れの良い高座が思いだされます。

本名:篠崎 進、、1949年5月30日 - 2010年9月28日、東京都台東区浅草生まれです。
出囃子は『ゲイシャワルツ』又は『藤娘』
本当は志ん生師に弟子入りしたのですが、志ん生師はもう弟子を取らないので志ん朝師の弟子になりました。
しかし、志ん朝師が忙しかったので、志ん生師に預けられました。
ですので、志ん生最後の弟子で志ん朝の総領弟子なのです。
これが、1966年8月31日のことで、名前が高助。

1971年11月 - 二ツ目に昇進し、改メ古今亭志ん三
1973年 - 志ん生死去に伴い、志ん朝門に正式復帰
1982年11月 - 真打昇進を期に、改メ古今亭志ん五
この昇進の時ですが、当時落語協会には、真打昇進試験、という無粋な制度がありまして、
試験官の幹部の前で一席演じて、合否を伺うというモノでした。
この試験に何と前座噺「味噌豆」で合格したのが、こぶ蔵で、試験管の小三治師も「見事な味噌豆だった」と言ったんですよねえ。
そうとしか言い様が無かったのか、実にいい加減な試験で、かの右朝師は落とされています。
すると、四件の席亭が異議を唱え、「志ん八(当時の名)が落ちるなら今後一切、落語協会の真打は認めない」と声明を出しました。
当時抜群の上手さで評判だった右朝師が落とされる試験に価値は無いとしたのです。
結局この事が原因で試験制度は崩壊します。

志ん五師は「あたしの芸はお足を頂く芸だから・・・」と言って試験を拒否しました。

志ん五師というと、なんて言っても「与太郎噺」ですね。
あれだけは誰も真似できませんでしたね。
「あん〜ちゃん!」と云うセリフで始まる楽しい噺の数々でした。
今日は、その与太郎噺から「孝行糖」をお聴きください。
出囃子にアナの音声が被っているのでカットしてあります。
せっかくの噺が台無しです。判っていませんねえ〜