p4110140今日は文楽師の名演が光る「つるつる」です。

八代目桂文楽が、それまで滑稽噺とされてきたこの噺を、幇間の悲哀や、お梅の描写等を加え、得意演目にしました。又志ん生もこの演目を演じており、文楽師とか逆にかなり滑稽味を加えています。
具体的には、 三代目三遊亭円遊師が明治22年にやった「思案の外幇間の当て込み」という題の噺がこの噺の元と云われています。

又、文楽師の幇間噺に出て来る旦那ですが、モデルが居るそうです。
甲府出身の県会議員の息子さんで、運送業で財をなした方だったそうです。
名前まで判っていますが、いいですよね。
文楽師の芸に大変惚れ込んだそうです。

幇間の一八が、同じ家にいる 芸者のお梅に、嫁に来ないかと、口説いたところ、お梅は、浮気な考えじゃいやだ、それと一八には悪い癖があって、お酒を飲むと、物事がぞろっぺいになって、約束をしてもすっぽかしたり、それがなければお嫁に行ってもいいけど、今晩2時になったら、あたしの部屋に来て、ただし少しでも遅れたら、いつもの癖が出たんだと、言うことで、この話は、なかったことにしましょうと約束をしました。

その日、旦那が来て、付き合えと言居ます。
一八は、約束の時間に戻れないかも知れないので、今日は、勘弁して欲しいと言います
旦那が、その訳を聞くと、一八は、しぶしぶお梅との約束を話しました。
旦那が一二時まで、付き合えと言ったので、日頃世話になっている旦那だけに、一八もお供をする事になりました。

先方の御茶屋で、旦那が何か芸をやれば、それを買ってやるからと、言ったが、これという芸がないので、酒を湯飲みに一杯飲んだら、金を出すといいます。
一八は、大好きな酒で、金がもらえるならと、喜んで引き受けたが、何度か飲んでいるうちに、酔っぱらって、もう少し飲めと言う旦那に、約束の時間だからと、断ってふらふらしながら帰ってきました。

お梅の部屋に行くには、師匠の寝ている部屋を通って行かなければならないので、あかりとりのさんをはずして、帯をほどき、裸になって、目隠しをして折れ釘に帯を結んで、これに捕まりながら、ゆっくりとおりていけば、師匠にも見つかることはないと、安心したら、酔いが出て、寝てしまいます。

時計のチンチンという音がしたので、帯に捕まりながらおりていくと、下では、今みんなが朝飯を、食べようとしていたところだったので、師匠が
「おい、一八お前、何を寝ぼけているんだ」
「井戸替えの夢を見ました。」

柳橋の花柳界は天保の改革で営業出来なくなった深川の辰巳芸者が柳橋界隈に流れて来てから盛んになりました。元が辰巳芸者でしたので気っぷが良かったそうです。


この噺の考えなければならないのは、お梅ちゃんは本気で一八に言ったのか?
という処ですね。
本気で酒さえ呑まなければ良かったのか・・・という処ですが、
一八の職業を考えれば、禁酒は無理ですね。
という事は・・・・・ですね。
それともそれを判って、あえて求婚するなら、本気だろうという考えなのか、
女心は不思議です。
今では井戸も使わ無くなったので、このさげも判り難くなりましたね。

音源は文楽師で、ただこの音源は途中で切っています。酔っ払った処までです。残念!

8代目桂文楽明治25年・1892年11月3日 - 昭和46年・1971年12月12日)
本名並河益義1908年:落語家になる初代桂小南に入門、1917年9月:睦会で真打昇進、翁家馬之助襲名
1920年5月6日:桂文楽襲名、1971年12月12日死去。死因は肝硬変。享年79