82250b58今日は桂枝雀師について、極々私的な思いを書いてみたいと思います。以前書いたものに補正しました。

枝雀師匠と言えば、派手な身振り手振りで陽気な高座が思い浮かんで来ます。
見ていてとても楽しい高座です。
余りにも楽しいので見過ぎると中毒になる危険もありますw

私は落語を聴くときは、仕事をしながら聴く事が多ので、自然と音のみが多くなります。
落語を流しながら調理の仕込みをしたり片付けをしながら聞いたりなんて事をよくします。

ですから枝雀師匠の落語も同じ様に聞いていました。
他の師匠と違って、枝雀師はTV等で、映像を先に見ていたので、音声のみを聞いた時は
印象が随分違うのに驚きました。

音声のみで聞いて居ると枝雀師の噺は映像の時とは真逆に感じてしまいました。
物凄く静かで、どちらかと言うと静の部分が強調され、しつこいと感じていた語り口は逆にあっさりと感じ、
全体的に、静かな語り口にさえ感じてしまうのです。

さらに聴きこんでいくと、年代もありますが、
私がニコにうpした「三十石」等は後半は苦しんでいる様に聞こえます。
落語を語りながらも師匠は泣いて苦しんでいる様な気さえしました。

映像でも最後の方の高座は正面を切れていませんが、
音声のみを聞いて居ると師匠はもっと早くから苦しんでいた様に感じます。

ここから先は私の独断と偏見で書きますが、(すでにそうなっているってw)
枝雀師は弟弟子の吉朝師と言うこれまたもの凄い噺家さんがいましいた。
彼の高座を見てその本格ぶりと自分のTV向けの高座を比較し、
本来の自分のやりたい高座とのギャップに苦しんでいたのでは無いでしょうか?
人気があって面白くても、演目としての深みが無い・・・・
其の様に考えていたとしても不思議じゃ無いと思います。
真面目な師匠はその辺を考え過ぎてしまったのかと・・・・

「天神山」等はあえてサゲを付けずに演じてみたり色々工夫はしていましたが、悩みすぎたんでしょうね、なんせ人気が凄すぎた!

米朝師に「自分が行き詰まったら、『たちきり』がまだあるぞ、と言ってください」と言っていたそうです。
その事からも、もっと人情噺の方向も探っていたと思われます。

それと、本格的な落語ファンから見れば、米朝師の落語を継ぐのは吉朝師だと思っていたハズです。
ならば、自分はどう将来レベルアップしなくてはならないのか、
そんな事を考えてしまったのかなあ〜と思っています。

TVと芸のギャップに悩んだのは小圓遊師も同じですね。

「バカ言ってんじゃねえよ!」
と思った方もおいででしょうが、独断と偏見でかきましたw

昇華した枝雀師匠を聞いてみたかったなあ・・・・
今日はこれを聴いてください。削除避けの為に細工してあります。

2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)
1961年(昭和36年)3代目桂米朝に入門 、桂小米」と命名
1973年最初のうつ病
1973年(昭和48年)10月に大阪道頓堀の角座で「2代目桂枝雀」を襲名
1984年(昭和59年)3月28日東京歌舞伎座にて「第一回桂枝雀独演会」を開催
1997年頃 うつ病が再発
1999年3月13日に自宅で首吊り自殺を図る
同年4月19日に心不全のため死去。59歳没