0729今日は「もう半分」です。

原話は、興津要の説によると井原西鶴「本朝二十不孝」巻三の「当社の案内申す程をかし」とのことですが、
明確ではありません。
近年は志ん生師や今輔師が演じていました。
また、三代目三金馬師、十代目馬生師も演じました。
最近では小三治師や雲助師を始め多くの噺家さんが演じています。雲助師は舞台を本所林町に、
志ん生師は舞台を千住大橋で、その他は永代橋で演じています。
どちらも町外れと言う事ですね。

千住大橋の橋のたもとに、夫婦二人きりの小さな酒屋がありました。
こういうところなので、いい客も来ず、一年中貧乏暮らし。
その夜も、このところやって来る棒手振りの八百屋の爺さんが
「もう半分。へえもう半分」
と、銚子に半分ずつ何杯もお代わりし、礼を言って帰っていきます

この爺さん、鼻が高く目がギョロっとして、白髪まじり。
薄気味悪いが、常連なので相手をしています。

ある日、爺さんが帰った後、店の片づけをしていると、五十両入りの包みが置き忘れてある。
「ははあ、あの爺さん、だれかに金の使いでも頼まれたらしい。気の毒だから」
と、追いかけて届けてやろうとすると、女房が止める。

「わたしは身重で、もういつ産まれるかわからないから、金はいくらでもいる。
ただでさえ始終貧乏暮らしで、おまえさんだって嫌になったと言ってるじゃないか。
爺さんが取りにきたら、そんなものはなかったとしらばっくれりゃいいんだ。あたしにまかせておおきよ」

そう女房に強く言われれば、亭主、気がとがめながらも、言いなりになります。
そこへ、真っ青になった爺さんが飛び込んで来ます。
女房が「金の包みなんてそんなものはなかったよ」
と言っても、爺さんはあきらめません。

「この金は娘が自分を楽させるため、身を売って作ったもの。あれがなくては娘の手前、生きていられないので、どうか返してください」と泣いて頼んでも、
女房は聞く耳持たず追い返してしまいました。

亭主はさすがに気になって、とぼとぼ引き返していく爺さんの後を追ったが、
すでに遅く、千住大橋からドボーン。
身を投げてしまった。その時、篠つくような大雨がザザーッ。
「しまった、悪いことをしたッ」と思っても、後の祭り。
いやな心持ちで家に帰ると、まもなく女房が産気づき、産んだ子が男の子。
顔を見ると、歯が生えて白髪まじりで「もう半分」の爺さんそっくり。
それがギョロっとにらんだから、
女房は「ギャーッ」と叫んで、それっきりになってしまいました。

泣く泣く葬式を済ませた後、赤ん坊は丈夫に育ち、あの五十両を元手に店も新築して、
奉公人も置く身になったが、乳母が五日と居つきません。
何人目かに、訳を聞き出すと、赤ん坊が夜な夜な行灯の油をペロリペロリとなめるので
「こわくてこんな家にはいられない」と言うのです。

さてはと思ってその真夜中、棒を片手に見張っていると、丑三ツの鐘と同時に赤ん坊がヒョイと立ち、
行灯から油皿をペロペロ。
思わず
「こんちくしょうめッ」
と飛び出すと、赤ん坊がこっちを見て
「もう半分」

志ん生師はやや人情噺風に演じています。
方や今輔師は本格的な怪談噺として演じています。

千住には近年までやっちゃ場と魚河岸と両方ありましたが、やっちゃ場は花畑へ移りました。
今では魚河岸だけがあります。

演出の違いとしては、
永代橋版では酒屋の女房が妊娠するのは爺さんの自殺から数年後ですが、
千住大橋版では話の開始時にすでに臨月で直ぐに生まれます。
子供は永代橋版では女の子ですが、千住大橋版では男の子です。
等、細かい処が違っています。

今回は志ん生師で聴いて下さい。

五代目古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日〜昭和48(1973)年9月21日 享年83
本名 美濃部孝蔵出囃子 「一丁入り 」