今日は「山号寺号」です。
この噺は別名『恵方参り』とも言います。
かなり古い噺で、かの京都で辻噺をしていた、初代露の五郎兵衛師までさかのぼります。
最近では八代目柳枝や談志師が演じていました。
今日の粗筋はその談志師のものです。
いくらでも新しいシャレが加えられるため演者によって自由自在で、今日の音源の市馬師は例によって歌を入れています。
幇間の一八が、贔屓の若旦那に出会いました。「若旦那どちらへ?」 「ちょっと観音様にお参りにな。」
「浅草寺ですな」「いや観音様だ」
「若旦那、観音様とおっしゃいますが、本当は、金龍山浅草寺って言うんですよ。成田山景徳寺とかいう具合に、どこにでも山号寺号ってものがあります」
「ほう、どこにでもあるのか? ここにもあるのなら一円のご祝儀をあげよう」
「若旦那無茶を言っちゃいけませんや。お寺があればってことですが、せっかくだから考えましょうかね」
「車屋さん広小路ってのはどうですか? 山号寺号になってるでざんしょ」
「分かったよ、一円やるよ」
この後、女将さん拭き掃除、乳母さん子が大事、床屋さん耳掃除、蕎麦屋さん卵とじ、と次から次と一円をせしめました。
金がなくなった若旦那が、あたしもやってみたいね。そのお金をそっくり懐に入れて、
「一目散随徳寺」 「ああ、南無三仕損じ」
山号寺号とは、古くからある言葉遊びの一種で、江戸で名高い医者のあだ名を「医王山薬師寺」等と洒落て遊んだのだそうです。
幇間の一八は涙ぐましい努力ですが、若旦那の方が一枚上手でしたね。(^^)
この噺は別名『恵方参り』とも言います。
かなり古い噺で、かの京都で辻噺をしていた、初代露の五郎兵衛師までさかのぼります。
最近では八代目柳枝や談志師が演じていました。
今日の粗筋はその談志師のものです。
いくらでも新しいシャレが加えられるため演者によって自由自在で、今日の音源の市馬師は例によって歌を入れています。
幇間の一八が、贔屓の若旦那に出会いました。「若旦那どちらへ?」 「ちょっと観音様にお参りにな。」
「浅草寺ですな」「いや観音様だ」
「若旦那、観音様とおっしゃいますが、本当は、金龍山浅草寺って言うんですよ。成田山景徳寺とかいう具合に、どこにでも山号寺号ってものがあります」
「ほう、どこにでもあるのか? ここにもあるのなら一円のご祝儀をあげよう」
「若旦那無茶を言っちゃいけませんや。お寺があればってことですが、せっかくだから考えましょうかね」
「車屋さん広小路ってのはどうですか? 山号寺号になってるでざんしょ」
「分かったよ、一円やるよ」
この後、女将さん拭き掃除、乳母さん子が大事、床屋さん耳掃除、蕎麦屋さん卵とじ、と次から次と一円をせしめました。
金がなくなった若旦那が、あたしもやってみたいね。そのお金をそっくり懐に入れて、
「一目散随徳寺」 「ああ、南無三仕損じ」
山号寺号とは、古くからある言葉遊びの一種で、江戸で名高い医者のあだ名を「医王山薬師寺」等と洒落て遊んだのだそうです。
幇間の一八は涙ぐましい努力ですが、若旦那の方が一枚上手でしたね。(^^)
音源は市馬師で聴いて下さい。
4代目柳亭市馬 1961年12月6日 生 / 本名は右藤泰幸/ 出囃子は『吾妻八景』
1980年3月 - 5代目柳家小さんの門下で「小幸」1984年5月 - 二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。
1993年9月 - 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。落語協会副会長
※お知らせ・・・・これから仕事の関係で、ひと月ばかりの間、更新が出来ない日も出てきますが、ご了承下さい
m(_ _)m
4代目柳亭市馬 1961年12月6日 生 / 本名は右藤泰幸/ 出囃子は『吾妻八景』
1980年3月 - 5代目柳家小さんの門下で「小幸」1984年5月 - 二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。
1993年9月 - 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。落語協会副会長
※お知らせ・・・・これから仕事の関係で、ひと月ばかりの間、更新が出来ない日も出てきますが、ご了承下さい
m(_ _)m
寄席では三遊亭吉窓師でよく聴きます。
「○○サン○○ジ」という文句は、その気になれば際限なく作れちゃうので、さらっと演じるのがコツかな? なんて思います。
圓生師匠の著書に、昔は字の書けない前座がいて、楽屋帳に「三五十五」と書かれていた。“なんて噺だい?”と聞いたら“山号寺号です”と、その前座が答えたという逸話がありました。