「浮世風呂」と言う噺ですが、これと言った筋はありません。
湯屋での風俗を描いた噺です。
七代目圓蔵師や名古屋の福助師、七代目小柳枝師の音源が残っている様です。
元は、式亭三馬 の「浮世風呂」からだと思います。
陽気に唄を歌ってる人々等の描写が面白いですね。
当時の江戸では内湯がある家はほとんど無く。大店でも有る言家は限られていました。
なにしろ火事早いのが江戸の名物といわれたくらいで
火の取り扱いは慎重でした。煮炊きも夜はしませんでした。
ですので、「湯屋」に行くことになります。
昭和の30,40年代頃迄は未だ内湯のある家はそう多くありませんでした。
江戸の湯屋は風呂桶の上が板囲いになっていまして、「石榴口」などと言います。
くぐって中に入ります。.蒸気を逃がさないためですね。
最初は「蒸し風呂」だったどうです。サウナですな。
ですから湯の中は暗かったのです。電灯などない時代ですから、暗いというても半端jじゃないでしょうね。
ですので湯もあまり清潔では無かったそうです。
最初の頃は混浴だったようです。ふんどしなどはつけたままはいったようですね。
でも当然なのでしょうが、後に男女別になりましたが、何回も元に戻ってしまった様です。
アメリカの一行が幕末に来て、驚いた記録もあります。
大店の旦那や若旦那などは昼間のうちに湯屋に行きますようで.
湯に刀掛けなどと言われますが、見回り役の同心などは女湯の朝風呂に入っていました。
これは役得でもなんでも無く、朝の女湯は空いていたからです。
女湯は湯の中は陰気で洗い場が陽気です。
男湯は湯の中が陽気で洗い場が陰気です。
と対象的でした。
男湯の二階は今で云うコミュティスペースになつていまして。社交場でした。
湯屋での風俗を描いた噺です。
七代目圓蔵師や名古屋の福助師、七代目小柳枝師の音源が残っている様です。
元は、式亭三馬 の「浮世風呂」からだと思います。
陽気に唄を歌ってる人々等の描写が面白いですね。
当時の江戸では内湯がある家はほとんど無く。大店でも有る言家は限られていました。
なにしろ火事早いのが江戸の名物といわれたくらいで
火の取り扱いは慎重でした。煮炊きも夜はしませんでした。
ですので、「湯屋」に行くことになります。
昭和の30,40年代頃迄は未だ内湯のある家はそう多くありませんでした。
江戸の湯屋は風呂桶の上が板囲いになっていまして、「石榴口」などと言います。
くぐって中に入ります。.蒸気を逃がさないためですね。
最初は「蒸し風呂」だったどうです。サウナですな。
ですから湯の中は暗かったのです。電灯などない時代ですから、暗いというても半端jじゃないでしょうね。
ですので湯もあまり清潔では無かったそうです。
最初の頃は混浴だったようです。ふんどしなどはつけたままはいったようですね。
でも当然なのでしょうが、後に男女別になりましたが、何回も元に戻ってしまった様です。
アメリカの一行が幕末に来て、驚いた記録もあります。
大店の旦那や若旦那などは昼間のうちに湯屋に行きますようで.
湯に刀掛けなどと言われますが、見回り役の同心などは女湯の朝風呂に入っていました。
これは役得でもなんでも無く、朝の女湯は空いていたからです。
女湯は湯の中は陰気で洗い場が陽気です。
男湯は湯の中が陽気で洗い場が陰気です。
と対象的でした。
男湯の二階は今で云うコミュティスペースになつていまして。社交場でした。
音源はな七代目橘家圓蔵師で聴いてください。今の圓蔵師の師匠で文楽師のお弟子さんです。
浮き世風呂・・・噺家さんの陽気な歌のワンマンショウで、楽しいですね。
今の子供達の中には、校外学習で風呂に入る時、水着着用したとの話きいて・・・おかしいやら、悲しいやら・・・
その反面、大きい風呂で手足伸ばしたくて、”洒落た〜湯”が流行っているとか・・・
地方の温泉場で混浴の処ありますが・・・やはり・・・入って行く勇気有りません