E4B8A1E59BBDE59B9EE59091E999A2E5A283E58685E585A8E59BB3今日は小品ながら鋭いオチを持つ「開帳」です。別名「開帳の雪隠」とも言います。

原話は明和9年(1772)刊の笑話本「鹿の子餅」中の「貸雪隠」。
この形では、舞台は上野の不忍弁天となっています。

両国の回向院の前で茶店を営んでいる老夫婦。
回向院で開帳や催し物があると、肝心の商売より憚り(はばかり)を貸して欲しいと言う事ばかり。
これじゃ商売にならないと、何か良い方法はないかと考えました。

「そうだ、憚りを使う人から幾らかずつ貰おう。憚りを貸してお代を貰えば良い」
とお爺さんは考えます。
早速、実行してみると、次から次へ利用者が引きも切りません。
「これは、いい商売だ」と思いましたが、少し立つと、向かいの店にも有料の憚りが出来ました。
その上、向うのが綺麗で新しいとあって、お客が皆そちらに流れて仕舞います。

これではならじと、お爺さん何か名案は無いかと考えます。
「明日。俺は、商売が上手くいく様に、願掛けしてくるよ」
とお婆さんに言います。
お婆さんは、どうせ暇だからと、弁当をもたせ、送り出します。

お爺さんが出かけてから、一人、また一人とお客がやって来ます。
「珍しい事もあるもんだ」と思っていると、次から次へやって来ます。
「あら、あらどうしたんだろうね。お爺さんの願掛けが通じたのかしら?」
そのうち、余裕も無くなり、
「お爺さん、早く帰って来ないかしら」と思います。
やっと日がくれてから、帰って来ました。
「お爺さん何処まで行ったんだい。それにしてもずいぶんご利益があるんだね。何処まで行ったんだい?」
「何処へも行きやしないよ」
「じゃあ、弁当もってどこへ・・」
「向かいの店の憚りで一日中しゃがんでいたのさ」

開帳とは、開扉(かいひ)ともいい、各地の名刹が、厨子(ずし)を開いて秘仏を公開するイベントです。
平安末期から、広く行われました。
他所へ出張して行うのを出開帳(でがいちょう)と呼び、
今のデパートの特別展に似ています。
江戸時代、成田山の新勝寺が良く出開帳をしていました。
それが深川の永代寺です。
又、成田山が多くの信仰を集めた一因が、芝居の市川團十郎が厚く信仰した事もあります。
信仰によって男子を授かったと言う事がさらに名声を得る事になりました。

回向院も信州の善光寺の出開帳を始め、各地の名刹もここで行いました。
今からおよそ350年前の明暦3年(1657)に開かれた浄土宗の寺院です。
江戸市中に「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。
この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。
当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の始まりです。




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