tenarai今日は「汲みたて」です。
原話は、滝亭鯉丈が文政3年(1820年)に出版した「花暦八笑人」の「第三編・下」です。

町内に若くて容子の良いお稽古の師匠が居るのですが、『我こそは師匠としっぽり』などよからぬ下心を出した連中がわいわい押しかけ、何かと騒がしい。

ある夏の日。暇な若い衆が寄り集まり、例によって師匠のうわさに熱を上げていると、
後からやってきた八五郎が「やめておけ。師匠には、もう定まった相手がいるんだよ」
詳しく話を聞いてみると、相手はなんと建具屋の半公。確かに美男子で、女にモテソウな感じだが…。
「去年の冬にさ、師匠の部屋へ通ってみると、半公が主人然として、師匠と火鉢を囲んでいたんだ」
火鉢が真ん中。半公向こうの師匠こっち、師匠こっち半公向こう。火鉢が真ん中…。
「いつまでやってるんだ!!」

半公がすっと立つと、師匠もスッと立ち上がる。ぴたっと障子を閉めて、中でコチョコチョと二人じゃれついていた…らしい。
「嘘だと思うなら、ほら、いま師匠の家に与太郎がお手伝いに行ってるだろ? あいつに聞けば…、ほら、噂をすれば・・・」

やってきた与太郎に聞いてみると、やっぱり半公がちょくちょく泊まりに来る…という。
「師匠と半公が喧嘩して、半公が師匠の髪をつかんでポカポカ…」
「殴ったのか!?」
「うん。だけど、そのあと師匠が『いやな奴に優しくされるより、好きな人にぶたれた方がいい』」
「チクショー!! そう言えば与太郎…、今日はやけにいい身なりをしているな」
「うん。今日は、師匠と半公のお供で、柳橋から船で夕涼みなんだ」

師匠が「みんなも一緒に」と言うと、半公が『あの有象無象(うぞうむぞう)どもが来ると、せっかくの気分が台無しになる』。
「何だ、その有象無象ってのは?」
「うん、おまえが有象で、こっち全部無象」
「この野郎!!」
怒り心頭に発した江戸っ子連中、これから皆で押しかけて、逢瀬(おうせ)をぶちこわしてやろうじゃねえかと相談する。

「半公の野郎が船の上で、師匠の三味線で自慢のノドをきかせやがったら、こっちも隣に船を寄せて、鳴り物をそろえて馬鹿囃子を聞かせてやろうじゃないか」
逃げたらどこまでも追いかけていって、頭にきた半公が文句を言ったら「かまわねぇから襟首つかんで川の中に放り込んでしまおう」…という算段だ。

鉦や太鼓を用意し、船に乗り込んでスタンバイしていると師匠と半公が屋根船に乗って現れる。
半公が端唄をうなり出すと、待ってましたとばかりにピーヒャラドンドン!
「見てごらん。有象無象が真っ赤になって太鼓をたたいてる」
与太郎がクビを出したので、江戸っ子連中が「てめえじゃ話にならねぇ、半公を出せ!」
このまま引き下がっては江戸っ子の恥。連中の言葉を聴いた半公が、師匠の制止を振り切って船べりへ躍り出た。

「なんだ!? 師匠と俺がどういう仲になろうと、てめえたちには関係ないだろうが!! 糞でもくらいやがれ!」
「おもしれえ。くってやるから持ってこい」
川のど真ん中でやりあっていると、その間に肥船がスーッ。
「汲み立てだが、一杯あがるけえ?」

作者の滝亭鯉丈はもともと小間物屋で、寄席に入り浸っているうちに本職になってしまったそうです。

町内に稽古所が繁盛したのは、若い娘を持った親は当然良いところに嫁がせたいのが親心です。
そこで、武家に見習い奉公に出し、躾が行き届いたら良縁を期待する。
それが普通の親の考えでした。逆に武家側からすると、同じ採るなら一芸に秀でた娘の方が良く、手習いが済んでいる娘を採用した。そこで親たちは唄や踊りに通わせるようになり繁盛したという訳です。

舟遊びが出てくるので、夏の噺ですが、まあ、余りにも寒いのでね。(^^)
音源は圓生師で聴いてください。