3585723138_bbb9bb28dd今日はですね、何としても只で酒が飲みたかった男の噺「子ほめ」です。
原話は、安楽庵策伝著の『醒睡笑』に収録されているそうです。これも例によって、元は上方落語の演目で、3代目圓馬師によって東京落語に持ち込まれました。

まあ、いわゆる前座噺なので、寄席でもよく掛かります。
 灘の酒を只の酒と勘違いした八っつあんが、ご隠居の家に行って、酒を飲ませろと言います。
 突然そんな言い方をしないで、まずは世辞愛嬌を言うものだ。年齢を四、五歳若く言われると誰でも悪い気はしないと教わった。
表に出ると伊勢屋の番頭さんと出会ったので、早速やろうとすると、先を越されてしまう。
おまけに、40の番頭さんに厄そこそこと言って失敗して仕舞います。
今度は子供でやろうと思い、昨夜、竹さんとこで子供が生まれたからと、子供をほめに行きます。
「竹さんほめに来たぞ、どこにいるんだい」
「ありがとうよ、そこで寝てるよ」
「これかい、随分大きいね」
「大きい子だって産婆もほめてくれたんだ」
「おじいさんにそっくりだね」
「そりゃ本人が昼寝しているんだよ」
「おお、こっちか、こりゃまた小さいね。先だって亡くなったおじいさんにそっくりで」
「止せよ、聞こえるよ」
「この子はまるで人形見たいだね」
「そんなに可愛いかい?」
「ううん、腹押すと、ピーピー泣くからさ」
「よせよ、死んじゃうよ」
「ときにこのお子さんはお幾つでしょうか」
「生まれたばかりだから一つだよ」
「一つにしちゃお若く見えます、どう見ても只だ」

上方だとサゲが違っていて、
「そんな赤ん坊に年を尋ねるもんがあるかい、今朝生まれたとこや」と言うので、
「今朝とはお若う見える、どうみてもあさってくらいや」
又、違うサゲもあるそうです。

まあ、これは昔の歳の数え方が、満年齢ではなく、数えだったので、生まれると1歳としたので、このオチがつかえました。
演者によっては「半分だ」とサゲる噺家さんも結構いますが、ここは「只だ」のほうがいいですね。
と言うのも、始めのタダの酒のタダがこのサゲに掛かってかるからです。
それを知らないで高座に掛けているのかしら・・・皆さんはどう思います? (^^)
動画は小朝師で、とにかく面白いです!