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え〜何だかこれからもっと暑くなるのかと思ったら、そうでも無いとか?どうなってるの?
旧暦の6月といいますと、落語国では大山詣りの季節ですねえ。
江戸っ子が寺社にお参りするのは、信仰もありましたが、結局は娯楽だったんですね。
何の娯楽かって?そりゃ色々ですよ。ねえ・・・文字とおり色っぽい娯楽から観光まで含めてね。
富士詣りの時も書きましたが、江戸時も下ると、完全に観光化されてまして、ちゃんと組織化されてます。
今の観光会社みたいなもんですね。先達さんの手配もしてくれるんです。もちろん宿の手配もですね。
今と余り変わらない、違うのは歩いて行く事ですね。これはしょうがない、ね。

長屋でも大山詣りに行くことになったのですが、熊さんは残って後の長屋を守る役になってくれなんて言われてしまう。文句を言うと、本当はしょっちゅう喧嘩をするから残らせようとの魂胆。今回は喧嘩をしたものは二分の罰金を払ったあげく、坊主にしちゃおうということになりまして。熊さん、俺は大丈夫だと見栄を切ります。

無事お詣りが済んで、明日には江戸に戻るという晩、気が緩んだのかやっぱり喧嘩しちゃった。それで熊さんは決まり通り坊主にされてしまう。翌朝熊さんが起きてみると既に皆は経った後。宿の人にくすくす笑われて本当に坊主にされたことに気付きます。

やられた熊さん、一計を案じ、一足先に江戸に戻ります。長屋のおかみさん連中を集めて、途中金沢八景見物に舟に乗ったときに舟が転覆して、皆亡くなってしまったと嘘をつく。供養のために坊主にしたというから皆信じちゃって、おかみさん達も供養に尼になります。

そこで男衆が帰ってきて、さあ大変・・・・と先は動画でね。

でも熊さん、帰りの籠の代金、いくら払ったんだろう?神奈川(横浜市神奈川区)からですからね。
きっと大変だったろうと思うのですがね・・・

上方には「百人坊主」と言う伊勢神宮にお詣りに行く噺がありますが、これが江戸に流れて来たと言う節と、
滝亭鯉丈の作品で文政四年(西暦1821年頃)に出版された「大山道中栗毛俊足」に似たパターンの噺があり、これが東西で別々に発展したものではないかとも言われてます。

また、サゲに関してですが、当時は髷を何より大事にしていて、文字通り命の次に大事なものだった様です。
今でも女性は髪を大事にしますが、昔はその比じゃ無かったそうです。
これが無くなると言うのは本当にショックで辛いことだったのでしょう。
髷がなければ実社会から脱落することを意味していたとかね。アウトサイドに落ちて行くと言う事でしょうかね。
又、失敗や軽い犯罪をしても頭を丸めれば、許されたそうです。
動画は、当代一のこの方で


当時の道のりを貼っておきます
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